テオファヌ
テオファヌ(Theophanu, 960年 - 991年6月15日)は、神聖ローマ皇帝オットー2世の皇后。ギリシャ語名のテオファノ(Theophano)、テオファニア(Theophania)という記載もある。
テオファヌ Theophanu | |
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神聖ローマ皇后 | |
オットー2世とテオファヌ | |
在位 | 972年 - 983年 |
戴冠式 | 972年4月14日 |
出生 |
960年 東ローマ帝国、コンスタンティノープル |
死去 |
991年6月15日 神聖ローマ帝国、ナイメーヘン |
埋葬 | 神聖ローマ帝国、ケルン、サン・パンタレオン修道院 |
結婚 | 972年4月14日 サン・ピエトロ大聖堂 |
配偶者 | 神聖ローマ皇帝オットー2世 |
子女 |
アーデルハイト ゾフィー マティルデ オットー3世 |
生涯
編集東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルで生まれる。東ローマ皇帝ヨハネス1世ツィミスケスの姪といわれているが[1]、ロマノス2世と皇后テオファノの娘という説もある。キエフ公国の公妃となったロマノス2世の皇女アンナ・ポルフィロゲネタとともに、初めて外国へ嫁いだ東ローマ皇族であるといえる。
オットー1世は、同盟の証に東ローマ皇族の皇女を息子オットーの妃とするため要求[2]、これに応えて、972年に皇女を送る豪華な使節団が到着した。
2人は972年4月14日、ローマ・サン・ピエトロ大聖堂でローマ教皇ヨハネス13世の立ち会いの下に結婚した[1]。また、同じ日にテオファヌは皇后として戴冠した。
2人の間には5人の子供が生まれた。
- アーデルハイト(977年 - 1040/44年) - クヴェードリンブルク修道院長
- ゾフィー(978年 - 1039年) - ガンダースハイムおよびエッセン修道院長
- マティルデ(979年 - 1025年) - ロタリンギア宮中伯エッツォ(エッツォ家)と結婚
- オットー3世(980年 - 1002年)
- 女児(980年) - 出生から3ヶ月で夭折
テオファヌは夫の遠征に自ら同行し、統治でも彼の隣で采配を振った。彼女によってもちこまれた東ローマ文化は、夫の宮廷を華やかにした。その例として、当時手づかみで食事をしていた西ヨーロッパに、東ローマ帝国宮廷で用いられていた食卓用フォークをもたらしたことはよく知られている。一方、夫の生母で、義母にあたるブルグントのアーデルハイトはテオファヌを好まず、彼女が亡くなったとき大喜びしたという。
983年にオットー2世は死去し、ローマに葬られた。テオファヌはまだ幼いオットー3世の摂政を991年まで務めた[3]。
脚注
編集参考文献
編集- 瀬原義生 『ドイツ中世前期の歴史像』 文理閣、2012年