ツーカーホン関西
ツーカーホン関西(ツーカーホンかんさい)とは、
- 2008年までにおいて近畿地方2府4県にて展開されたツーカー携帯電話事業のサービスブランド名。「ツーカー関西」
- 1991年から2005年に近畿地方において携帯電話事業を行っていた電気通信事業者。「株式会社ツーカーホン関西」
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
略称 | ツーカーホン、ツーカー、Tu-Ka |
本社所在地 | 大阪府大阪市北区 |
設立 | 1991年10月30日 |
業種 | 電気通信業 |
事業内容 | 携帯電話 |
代表者 | 代表取締役社長 杉本芳彦、中山孝司、福田元彦、吉室誠 |
特記事項:2005年10月1日KDDI株式会社へ吸収合併。 |
本稿ではかつて近畿地方においてツーカーブランドを用い展開されていた携帯電話事業、またそれに付随する事業を詳述。
概要
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株式会社ツーカーホン関西は日産自動車を単独筆頭(過半)株主として1991年に設立された携帯電話電話事業会社。東海・関東甲信1都12県についてはセルラーホンを運営していたDDI(当時)と共同筆頭株主として設立した為、「ツーカーセルラー」を名乗った。
郵政省(当時)は1.5ギガヘルツの電波割り当てに際して、日産と日本テレコムに携帯電話の全国での新規参入枠を与えたのだが、当時関東・東海を除く各地にセルラー携帯電話事業会社を設立していたDDIの関東・東海における利権要求に屈して、2地域のみ日産と対等に組ませ、日本テレコムは日産と組まない関東・東海・関西では単独筆頭(過半)株主として「デジタルホン」を設立した。また関東・東海・関西以外の市場は小さいと判断して1社のみの参入を認め、JR系の通信会社日本テレコムと日産が共同筆頭株主となって各地に「デジタルツーカー」を設立した。この結果、関西以外の地域では、他の通信会社の資本が入る「ねじれ経営」状態となって、その影響をもっとも受けた(日産単独主宰の)「ツーカーホン関西」はグループ全体の中で孤立を深めることとなった。
その後、日産の経営難に伴い、1999年に全ての株式がDDIおよび日本テレコムに譲渡され、日産は携帯電話事業から完全撤退、翌2000年10月には同業のトヨタ自動車が資本参加した日本移動通信もDDIなどと共にKDDIに統合した。日産の失敗事業の一つに数えられることもあるが、実際には失敗する以前に撤退したので資本金を回収することもでき、多くの従業員の受け皿となった携帯電話事業は「半成功事業」だったのかもしれない。当時の日産は「人の余剰」と「金の不足」に悩まされていたからである。
「ツーカーホン関西」はKDDI傘下入り後も、会社名称を変更することなく1994年開始以来の携帯電話事業を継続していたが、2005年KDDIに完全吸収され名実ともに消滅した。
業務地域
編集沿革
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料金体系
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- ツーカーV3シリーズ 2003年7月サービス開始
- ツーカーV3 基本料金1785円(税込) ファミリー割引後1512円(税込)
- 同時期に関東地方(ツーカーセルラー東京)でもシンプルプランという同等の料金体制を採用していた。
通信端末
編集ツーカーホン関西独自のサービス
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主なキャンペーン
編集宣伝活動など
編集イメージキャラクター
編集関西以外のツーカーグループとの差異についてはツーカー#以前、CMに出演したタレントを参照。