鄭敬淑
(チョン・ギョンスクから転送)
鄭 敬淑[1](てい けいしゅく、チョン・ギョンスク、1945年 -)は、北朝鮮による韓国人拉致被害者。ソウル特別市永登浦区出身。大韓航空機YS-11ハイジャック事件のときの客室乗務員(キャビン・アテンダント)。
鄭敬淑 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 정경숙 |
漢字: | 鄭敬淑 |
ハイジャックと拉致
編集→詳細は「大韓航空機YS-11ハイジャック事件」を参照
1969年12月11日、北朝鮮工作員の趙昶煕(当時42歳)が大韓航空機YS-11ハイジャック事件を起こし、乗員乗客を平壌に連行した。その後、1970年2月14日、搭乗者のうち乗客39人(男性32人、女性7人)を板門店経由で送還したが、乗務員と乗客7人の計11人が未帰還のまま拉致された[2]。拉致されたのは、以下の11名[2][注釈 1]。
1985年に北朝鮮に渡った呉吉男(「良心の囚人」申淑子の夫)は、北朝鮮で韓国向けのプロパガンダ放送をさせられた[3][4][5][注釈 2]。そのとき、やはりプロパガンダ放送をさせられていたチョン・ギョンスク、ソン・ギョンフィを含む韓国人拉致被害者たちと会ったことを呉吉男は証言している[6]。
生存確認
編集2011年10月24日の朝鮮日報は、副操縦士チェ・ソクマンと乗務員チョン・ギョンスク、ソン・ギョンフィを含む韓国人拉致被害者21人の平壌居住を確認したと報道した [7]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ “「69년 KA기 납북사건」 강릉→서울 비행중 피랍…진상 베일속”. 東亜日報 (2001年2月26日). 2022年8月27日閲覧。
- ^ a b c 「忘れ去られた拉致被害者たち」 - PSCORE(成功的な韓国の再統一を成す人々)
- ^ “北朝鮮収容所に残された呉吉男氏の妻娘、出身地統営で救出呼びかける展示会”. 東亜日報 (2011年8月3日). 2021年12月1日閲覧。
- ^ a b 三浦小太郎 (2018年9月28日). “呉吉男事件と特定失踪者生島さん”. やまと新聞社. 2021年12月1日閲覧。
- ^ Harden, Blaine (2010-02-22), “A family and a conscience, destroyed by North Korea's cruelty”, Washington Post 2010年2月25日閲覧。
- ^ Um, Han-Ah (2007-10-05), “Fate of Abducted Korean Airlines Passengers Still Unclear”, Open Radio for North Korea 2010年7月7日閲覧。
- ^ 朝鮮日報日本語版 (2011年10月24日). “拉致:被害者21人の平壌居住を確認”. セヌリマガジン. 2021年11月22日閲覧。