ダーフィト・エーレンシュトラール
ダーフィト・エーレンシュトラール(David Klöcker Ehrenstrahl、1628年9月23日 - 1698年10月23日)は、ドイツ生まれで、スウェーデンで宮廷画家として働いた画家である。
ダーフィト・エーレンシュトラール David Ehrenstrahl | |
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エーレンシュトラール作『寓意的な自画像』 | |
生誕 |
1628年9月23日 ドイツ、ハンブルク |
死没 |
1698年10月23日 スウェーデン、ストックホルム |
略歴
編集ドイツのハンブルクで生まれた。1648年からハンブルクの画家のJuriaen Jacobszのもとで絵を学び、1651年にスウェーデンに移り、バルト・ドイツ人の貴族、カール・グスタフ・ウランゲル(Carl Gustaf Wrangel)に気に入られ、ウランゲルのスコークロステル城に居住し仕事を与えられ、息子の教育の仕事もした。1651年頃の息子の絵がエーレンシュトラールの最も古い作品として残されている。1655年からヨーロッパ各地に修行にでた。スウェーデン王の未亡人、マリア・エレオノーラ・フォン・ブランデンブルクがその費用を負担したとされる[1]。
2年ほどヴェネツィアで暮らした後、ローマに2年間滞在し、バロックの画家ピエトロ・ダ・コルトーナらのもとで15世紀から16世紀のイタリア美術を学んだ。1659年にスウェーデン国王カール10世によって王室画家になるために帰国を求められると、帰国の途次、パリで、フランスの宮廷画家、シャルル・ルブランに強い影響を受け、ロンドンではピーター・レリーの影響も受けた。1661年にスウェーデンに戻り、主席宮廷画家(Hovkonterfejare)に任じられた[1]。
代表作にはストックホルムの貴族院(Riddarhuspalatset)の天井画などがある。エリック・ダールベリィによるスウェーデンの街並みや宮殿などの姿を収めた銅版画集、"Suecia antiqua et hodierna"の作成にも協力した。
甥にダーフィト・クラフトがいてエーレンシュトラールの没後、スウェーデン王室の宮廷画家の職を継いだ。
作品
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カール・グスタフ・ウランゲル
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カール11世の家族
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アドルフ・ヨハン1世 (プファルツ=クレーブルク公)
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貴族院の天井画
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クマ狩
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カール10世の戴冠式
参考文献
編集- Larsdotter, Anna (2009). ”David Klöcker Ehrenstrahl : maktens målare”. Populär historia (nr. 11): sid. s. 34-40. ISSN 1102-0822.