ダヴィド・ムスチスラヴィチ
ダヴィト・ムスチスラヴィチ(ロシア語: Давыд Мстиславич、? - 1226年)は、スモレンスク公ムスチスラフの子である。トロペツ公:1212年 - 1226年[1]。
ダヴィド・ムスチスラヴィチ Давыд Мстиславич | |
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トロペツ公 | |
在位 | 1212年 - 1226年 |
死去 |
1226年 |
家名 | リューリク家 |
父親 | スモレンスク公ムスチスラフ |
ダヴィドは兄弟のムスチスラフがノヴゴロド公となった際に、ムスチスラフの有していたトロペツ公位を得た。1212年の初め、北エストニアのチュヂ族に対する遠征に参加した。1226年、ノヴゴロド公ヤロスラフと共に、侵入してきたリトアニア大公国軍に抗するウスヴャートィの戦いに臨んだが、この戦いで戦死した[1]。子孫に関する記録は残されていない。
出典
編集- ^ a b Войтович Л. 3.16. СМОЛЕНСЬКА ГІЛКА РЮРИКОВИЧА. СМОЛЕНСЬКА І ЯРОСЛАВСЬКА ДИНАСТІЇ // Князівські династії Східної Європи (кінець IX — початок XVI ст.): склад, суспільна і політична роль. Історико-генеалогічне дослідження. — Львів: Інститут українознавства ім. І.Крип’якевича, 2000
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