ダビド・ビジャボナ
ダビド・ビジャボナ・エチャレク(スペイン語: David Villabona Echalecu, 1969年12月5日 - )は、スペイン・ギプスコア県イルン出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
| ||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||||||||||
本名 | David Villabona Echalecu | |||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||
国籍 | スペイン | |||||||||||||
生年月日 | 1969年12月5日(55歳) | |||||||||||||
出身地 | ギプスコア県イルン | |||||||||||||
身長 | 175cm | |||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||
ポジション | MF | |||||||||||||
クラブ1 | ||||||||||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||||||||||
1986-1989 | レアル・ソシエダB | 30 | (3) | |||||||||||
1987-1990 | レアル・ソシエダ | 42 | (1) | |||||||||||
1990-1993 | アスレティック・ビルバオ | 59 | (1) | |||||||||||
1993-2001 | ラシン・サンタンデール | 120 | (11) | |||||||||||
通算 | 251 | (16) | ||||||||||||
代表歴 | ||||||||||||||
1987 | スペイン U-17 | 10 | (0) | |||||||||||
1986-1988 | スペイン U-18 | 1 | (0) | |||||||||||
1988-1989 | スペイン U-19 | 8 | (0) | |||||||||||
1988-1990 | スペイン U-20 | 5 | (0) | |||||||||||
1990-1991 | スペイン U-21 | 6 | (0) | |||||||||||
1991-1992 | スペイン U-23 | 3 | (0) | |||||||||||
| ||||||||||||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集バスク地方のギプスコア県イルンに生まれ、地元のレアル・ソシエダの下部組織で育った。1986-87シーズンにトップチームデビューし、1988-89シーズンまでの3シーズンの出場数はわずか7試合だったが、20歳でレギュラーに定着した1989-90シーズンにはプリメーラ・ディビシオンで5位となった。
1990年にはライバルのアスレティック・ビルバオに移籍した[1]。初年度の1990-91シーズンは30試合、1991-92シーズンは25試合に出場した。1992年にはU-23スペイン代表としてバルセロナオリンピックに出場し、自国開催の大会で金メダルを獲得した[2]。しかしその後はホス・ウルティアや若いフレン・ゲレーロとの競争に敗れ、1992-93シーズンと1993-94シーズンは2シーズン合わせて4試合の出場にとどまった。
1994年1月にはラシン・サンタンデールに移籍した。1994-95シーズンには自己最多の4得点、1995-96シーズンには5得点を挙げた。1997-98シーズンからは度重なる負傷のために出場機会が減り、2000-01シーズン終了後にラシン・サンタンデールがセグンダ・ディビシオンに降格したため、31歳で現役を引退した。
タイトル
編集脚注
編集- ^ “Athletic Club-Real Sociedad: jugadores en los dos bandos”. アス. (9 May 2014) 13 July 2017閲覧。
- ^ “La Roja de 1992, nuestra medalla de oro Olímpica”. アンテナ3 (3 July 2012). 13 July 2017閲覧。
- ^ “Supervivientes de oro”. エル・パイス. (25 February 2007) 24 May 2018閲覧。