ダグ・ポーレン
ダグラス・ユージーン・"ダグ"・ポーレン(Douglas Eugene "Doug" Polen, 1960年9月2日 - )は、アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト出身の元オートバイレーサー。AMAスーパーバイク、全日本ロードレース選手権、スーパーバイク世界選手権、世界耐久選手権でチャンピオンを獲得した。
経歴
編集キャリア初期
編集ポーレンは1977年からプライベーターとしてローカルレースに参戦していたが、仕事に集中するために1982年を最後に一時レースをやめていた。しかし1986年にGSX-Rナショナル・カップ・シリーズでレースに復帰した。1987年にはAMAスーパーバイクにフル参戦を果たし、ババ・ショバート、ケビン・シュワンツ、ウェイン・レイニーらのライバルを相手に、シリーズランキング4位の成績を収めた[1][リンク切れ]。
ヨシムラ時代
編集1988年にはスズキワークスのヨシムラ・チームのシートを獲得。シュワンツと組んで鈴鹿8時間耐久ロードレースにも出場し、2位表彰台を獲得した。翌1989年にはヨシムラ・ジャパン・チームでスズキ・GSX-Rを駆って全日本ロードレース選手権TT-F1、TT-F3クラスに参戦し、史上初の両クラス同時チャンピオン獲得を果たした。
1990年、ポーレンはこれまでで最も大きな挫折を味わうことになった。シーズン開幕前のテストで転倒し、足の指を4本も失う大怪我を負ったのである[1]。怪我から復帰後はこの年も全日本で戦ったが、欠場が響いてシリーズ連覇は果たせなかった。
スーパーバイク世界選手権
編集1990年の終わりには Eraldo Ferracci 率いる "Fast By Ferracci" チームに移籍し、翌1991年からは同チームでドゥカティ・851を駆ってスーパーバイク世界選手権に参戦。ポーレンはフル参戦初年度にしてチャンピオンに輝いた。翌1992年も世界選手権を連覇[2][3]、さらにはAMAスーパーバイクでもシリーズ3位を獲得した。1993年にはAMAに集中するために世界選手権への参戦を取りやめ、AMAスーパーバイクチャンピオンを獲得した。
1994年にはホンダ・UKチームからスーパーバイク世界選手権に復帰し、シリーズ4位の成績を残した。また、この年はアーロン・スライトと組んで鈴鹿8時間耐久ロードレースに出場し、優勝を果たした。しかしポーレンは1995年シーズンの序盤にホンダUKチームを突然去ることになった。
世界耐久選手権
編集1996年からはスズキのワークスチームから世界耐久選手権に参戦を開始する。1997年にはル・マン24時間耐久ロードレースを制する等活躍し、パートナーのピーター・ゴダードと共にシリーズチャンピオンに輝いた。1998年にはホンダチームに移籍し、シリーズ2連覇を果たした。
記録
編集ポーレンがAMAで獲得した通算18回のポールポジションは、2006年にマット・ムラディンに並ばれるまでは単独最多記録だった。スーパーバイク世界選手権で1991年に記録した1シーズン13回のファステストラップは、今でも史上最多記録である[4]。
主なレース戦績
編集スーパーバイク世界選手権(主なレース戦績)
編集シーズン | バイク | 出走 | 優勝 | 表彰台 | PP | FL | ポイント | シリーズ順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1988 | スズキ | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - |
1989 | スズキ | 2 | 1 | 1 | 1 | 0 | 33 | 21位 |
1990 | スズキ | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - |
1991 | ドゥカティ | 24 | 17 | 21 | 10 | 13 | 432 | 1位 |
1992 | ドゥカティ | 26 | 9 | 15 | 6 | 4 | 371 | 1位 |
1994 | ホンダ | 22 | 0 | 3 | 0 | 0 | 158 | 4位 |
1995 | ホンダ | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - |
合計 | 80 | 27 | 40 | 17 | 17 | 994 |
鈴鹿8時間耐久ロードレース
編集開催年 | バイク | チーム | パートナー | 総合順位 |
---|---|---|---|---|
1987年 | ホンダ・VFR750 | T.DAITO POLE POSITION | Iain Pero | 23位 |
1988年 | スズキ・GSX-R750 | ヨシムラ・スズキシエットGP-1 | ケビン・シュワンツ | 2位 |
1989年 | スズキ・GSX-R750 | ヨシムラ・スズキシエットGP-1 | ケビン・シュワンツ | 8位 |
1990年 | スズキ・GSX-R750R | ヨシムラ・スズキシエットGP-1 | ミゲール・デュハメル | 6位 |
1994年 | ホンダ・RVF/RC45 | チーム・HRC | アーロン・スライト | 1位 |
1997年 | スズキ・GSX-R750 | チーム・ラッキーストライク・スズキ | ピーター・ゴダード | 5位 |
2002年 | ホンダ・CBR954RR | ARATA-EX&TSUKIGI RACING | マイケル・アラン・スミス | リタイア |
2003年 | ホンダ・CBR954RR | MOTOLIBERTYARATA-EX & kiss-FM | 須貝義行 | リタイヤ |
脚注
編集- ^ a b [1]
- ^ Dean Adams. “Eraldo's Boy Speaks Out: Interview with Larry Ferracci from 1995”. Superbike Planet. オリジナルの2007年10月17日時点におけるアーカイブ。 2007年8月25日閲覧。
- ^ Doug Polen career World Superbike statistics at worldsbk.com Archived 2009年4月10日, at the Wayback Machine.
- ^ “2006 Superbike World Championship - Round 12 - Magny Cours”. mcnews.com.au (Motorcycle News Australia). (2006年10月8日). オリジナルの2006年10月7日時点におけるアーカイブ。 2007年8月25日閲覧。