ダイナスティカップ
ダイナスティカップ(英: Dynasty Cup)は、東アジアのサッカーのレベル向上を目指して1990年から1998年にかけて開催されていたナショナルチームによる国際大会である。
ダイナスティカップ | |
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開始年 | 1990年 |
終了年 | 1998年 |
参加チーム数 | 4 |
最多優勝 | 日本(3回) |
概要
編集本大会は2、3年に1回の間隔で開催され、第1回・第2回大会は中国の北京で、第3回大会は香港(当時はイギリス領)で、第4回大会は日本の横浜(横浜国際競技場)と東京(国立競技場)で開かれた。第2回大会では韓国をPK戦の末破り、日本代表が戦後初めての国際公式大会タイトルを獲得した[1]。
その後、マルボロなどのスポンサーの撤退もあり、大会は休止に追い込まれた。東アジアサッカー連盟(EAFF)の設立に伴ってこの大会は発展的解消し、2003年から約2年に1回開催されている東アジアサッカー選手権(後にEAFF東アジアカップ、EAFF E-1サッカー選手権と改称)に継承された。
結果
編集回 | 開催年 | 開催国 | 最終順位 | 出場 国数 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
優勝 | 準優勝 | 3位 | 4位 | ||||||
1 | 1990年 | 中国 | 韓国 | 中華人民共和国 | 北朝鮮 | 日本 | 4 | ||
2 | 1992年 | 中国 | 日本 | 韓国 | 北朝鮮 | 中華人民共和国 | 4 | ||
3 | 1995年 | イギリス領香港 | 日本 | 韓国 | 香港リーグ選抜 | 中華人民共和国 | 4 | ||
4 | 1998年 | 日本 | 日本 | 中華人民共和国 | 韓国 | 香港リーグ選抜 | 4 |
代表別通算成績
編集順 | 国・地域名 | 出 | 優 | 準 | 三 | 四 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 点 | 得 | 失 | 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 韓国 | 4 | 1 | 2 | 1 | 0 | 15 | 7 | 7 | 1 | 28 | 20 | 12 | +8 |
2 | 日本 | 4 | 3 | 0 | 0 | 1 | 14 | 6 | 4 | 4 | 22 | 23 | 15 | +8 |
3 | 中華人民共和国 | 4 | 0 | 2 | 0 | 2 | 14 | 4 | 5 | 5 | 17 | 12 | 13 | -1 |
4 | 北朝鮮 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 6 | 1 | 2 | 3 | 5 | 5 | 10 | -5 |
5 | 香港リーグ選抜 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1 | 7 | 0 | 2 | 5 | 2 | 4 | 14 | -10 |
- 太字は優勝経験のある国・地域で、太数字は最多記録
- 国・地域名は現在の名称で統一した
- 順位は通算勝点の多い順で、通算勝点が同数の場合は得失点差の優れた方を、得失点差も同数の場合は総得点の多い方を上にした
- 1992年大会までの勝点は<勝=2、分=1、敗=0>であったが、通算成績では現行と同じ<勝=3、分=1、敗=0>で統一した
- PK戦で決着がついた試合は記録上引分となる
表彰
編集大会MVP
編集大会 | 受賞者 | 国籍 |
---|---|---|
1990 | 金鋳城 | 韓国 |
1992 | 三浦知良 | 日本 |
1995 | 井原正巳 | 日本 |
1998 | 中田英寿 | 日本 |
得点王
編集大会 | 受賞者 | 国籍 | 得点数 |
---|---|---|---|
1990 | 呉群立 | 中華人民共和国 | 2 |
1992 | 高木琢也 | 日本 | 4 |
1995 | 黒崎比差支 | 日本 | 4 |
1998 | 黎兵 | 中華人民共和国 | 3 |
脚注
編集- ^ “(2013-08-05)第10回日本サッカー殿堂 掲額者発表|トピックス|JFA|日本サッカー協会”. 日本サッカー協会 (2013年8月5日). 2015年4月17日閲覧。