タノムサク・シスボーベー
タノムサク・シスボーベー(Thanomsak Sithbaobay、1965年1月8日 - )は、タイの元プロボクサー。マハーサーラカーム県出身。元OPBF東洋太平洋フライ級王者。キャリア晩年にはリングネームをカオヤイ・マハサラカムとした。
基本情報 | |
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通称 | Tanom Kongsankam |
階級 | フェザー級 |
国籍 | タイ |
誕生日 | 1965年1月8日(59歳) |
出身地 | マハーサーラカーム県 |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 62 |
勝ち | 56 |
KO勝ち | 33 |
敗け | 6 |
WBA世界スーパーフライ級1位になり、鬼塚勝也との試合で2度も互角に渡り合いながら、僅差で敗れ、遂に世界王座に付くことはなく引退したことから「無冠の帝王」と呼ばれた[1]。
来歴
編集1985年6月10日、プロデビュー。
1986年7月15日、デビュー9戦目でタイフライ級王座決定戦で判定勝ちで王座を獲得した。
1986年10月15日、デビュー11戦目でOPBF東洋太平洋フライ級王座決定戦に出場し、アンブリ・サヌシ(インドネシア)に4回KO勝ちで王座を獲得。以後、1度の防衛に成功した。
1987年5月3日、2度目の防衛戦で松村謙二と対戦し、1-2の判定負けで王座から陥落、キャリア初黒星となった。この採点結果にタノムサク陣営が抗議するなど、地元判定ではないかとの議論が持ち上がった。
1990年11月29日、WBA世界バンタム級王者ルイシト・エスピノサと対戦するが、0-3の判定負けで王座獲得に失敗した。
1992年4月10日、WBA世界スーパーフライ級王座決定戦で鬼塚勝也と対戦。クリーンヒットで上回り、前半に鬼塚の右目上をカットさせるなどしたが、6回以降の採点で巻き返され、僅差の0-3の判定負けで王座獲得に失敗した。しかし、この判定結果に不満のファンから抗議が殺到。会場内でも協栄側に有利な恣意的判定だとし、「協栄マジック」「協栄判定」との声が上がり、控え室に引き上げるタノムサクに観客が「You are Champ」と、声を掛ける等の光景が見られた[1]。また、多くの関係者もスポーツ紙や専門誌で疑問を呈するなど、「疑惑の判定」として大いに物議を醸した。
1993年11月5日、鬼塚と1年7か月ぶりに再戦し、0-3の判定負けで返り討ちにされ、3度目の世界王座挑戦に失敗した。この採点にも、翌日のデイリースポーツ紙上で矢尾板貞雄が異を唱えるなど、またもや疑惑の判定との声が多く聞かれた。
1996年5月6日、バンコクでシリモンコン・シンワンチャーとWBC世界バンタム級挑戦者決定戦を行い、3回KO負けを喫しウェイン・マッカラーへの挑戦権獲得に失敗した[2]。
獲得タイトル
編集脚注
編集- ^ a b 『ボクシング・マガジン』1992年5月号 ベースボール・マガジン社
- ^ “โอ๋ ศิริมงคล สิงห์วังชา”. Gossipstar.mthai.com (2010年6月24日). 2017年10月14日閲覧。
関連項目
編集- 男子ボクサー一覧
- 東洋太平洋ボクシング連盟(OPBF)王者一覧
- タノムサク鳥羽 - タノムサクにあやかってリングネームをつけた元キックボクサー・プロレスラー
外部リンク
編集空位 前タイトル保持者 申喜燮 |
第17代OPBF東洋太平洋フライ級王者 1986年10月15日 - 1987年5月3日 |
次王者 松村謙二 |