ピア・タシナーリ
ピア・タシナーリ(イタリア語: Pia Tassinari、1903年9月15日 - 1995年5月15日)、本名ドメニカ・タシナーリ(Domenica Tassinari)は、イタリアの声楽家(ソプラノ、メゾソプラノ)、オペラ歌手。イタリア語の発音をより正確に転写してタッシナーリと表記されることもある。とりわけイタリア、フランスの作品に優れていた。
Pia Tassinari ピア・タシナーリ | |
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基本情報 | |
出生名 | Domenica Tassinari |
生誕 | 1903年9月15日 |
出身地 | イタリア王国、モディリアーナ |
死没 |
1995年5月15日(91歳没) イタリア、ファエンツァ |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 |
声楽家(ソプラノ・メゾソプラノ) オペラ歌手 |
著名使用楽器 | |
声楽 |
経歴
編集ドメニカ・タシナーリとしてモディリアーナで生まれる。ボローニャでアレッサンドロ・ヴェッツァーニに師事する。1927年にカザーレ・モンフェッラートで、プッチーニ『ラ・ボエーム』のミミでソプラノ歌手としてデビューした。1932年から1937年まで彼女はスカラ座で歌い、1945年から1946年のシーズンに戻ってきた。1933年から1943年と1951年から1952年にはローマ歌劇場に出演。ロシアや南米でも活躍し、1947年から1948年にかけてはニューヨークのメトロポリタン歌劇場に出演した。
1940年、彼女は戦時中の軍隊のためのコンサートでテノールのフェルッチョ・タリアヴィーニと知り合い、1941年に結婚した。プッチーニ『トスカ』、『ラ・ボエーム』、グノー『ファウスト』、マスネ『ウェルテル』、マスカーニ『友人フリッツ』、マスネ『マノン』などを一緒に歌っている。ただし、タリアヴィーニの女性関係は長年激しく、1992年8月1日には正式に離婚している。
1930年代には、イタリアで最も優れたリリックソプラノの1人として認められ、幅広い役柄を歌っていた。また、ザンドナーイ、ヴォルフ=フェラーリ、レスピーギなどの現代作品でも高い評価を得た。
その後、声が徐々に暗くなってきたため、メゾソプラノとしても演奏するようになった。1952年からはメゾソプラノに専念し、ビゼー『カルメン』タイトル・ロールと『ウェルテル』のシャルロット(カルロッタ)として特に成功を収めた。1955年にはナポリでサヴェリオ・メルカダンテの『誓い(英語版)』Il giuramento のリバイバル公演に出演している。
1960年にローマでのレンツォ・ロッセリーニ『Il vortice』の公演で引退した[1]。
1995年5月15日、ファエンツァで死去。91歳没。
日本との関係
編集来日公演
編集掲載等
編集参考文献
編集- Le guide de l'opéra, les indispensables de la musique, R. Mancini & J-J. Rouvereux, (Fayard, 1986), ISBN 2-213-01563-5
出典
編集- ^ “Pia Tassinari - Sopranos” (英語). Opera Vivrà (2015年6月3日). 2021年5月16日閲覧。
- ^ “検索結果 - タシナーリ | 昭和音楽大学オペラ研究所 オペラ情報センター”. opera.tosei-showa-music.ac.jp. 2021年5月16日閲覧。
- ^ ジュール・マスネ, ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ. “《ウェルテル》”. opera.tosei-showa-music.ac.jp. 2021年5月16日閲覧。
- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション - 検索結果”. dl.ndl.go.jp. 2021年5月16日閲覧。