タイのカトリック
タイのカトリックでは、タイにおけるローマ・カトリック教会について記述する。
カトリック人口
編集2019年の時点ではタイにおけるカトリック信者は、388,468人いると見られており、総人口の0.58%にすぎない[1]。また、信者の分布にも偏りがあり、地理的には北部に多く[2]、民族的にはタイ族よりも、ベトナム系住民や山岳民族、華僑などに圧倒的に多い。
歴史
編集タイにおけるカトリックの歴史は1513年、アユタヤにポルトガル人が上陸したことに始まる。アユタヤ王朝のナーラーイ王の時代には、フランスがカトリックを利用してタイの属国化を図ろうしたため、フランスからの宣教師の数が圧倒的に多くなった。その後も、タイ国内ではフランス出身の宣教師が幅を利かせることになる。ナーラーイ王の死後、宣教師が虐殺され、一時カトリックの活動は衰退したが、チャクリー王朝に入ると徐々に禁教傾向が緩和され、ラーマ3世(モンクット王)の時代には布教がほぼ完全に許された。このころ技術を持った多数の宣教師がタイ国内に送り込まれ、タイ国内の技術向上に大きな役割を果たした。彼ら宣教師の多くは医療に従事し、モー(お医者様)と呼ばれ民衆に親しまれた。1984年には教皇ヨハネ・パウロ2世がタイを訪問している。
殉教事件
編集1940年、当時の首相であったピブーンソンクラームは、ラッタニヨム(愛国信条)によって国内のタイ国籍保有者を「純粋な」タイ人にするため、タイ国籍保有者に仏教徒となることを義務づけた。同年、ムックダーハーン県では地元警察当局が2人のシスターと5人の村人に仏教への改宗を要求、7人はこれを拒否し、結局銃殺された。この事件はその後長い間忘れられていたが、1980年代に行われたカトリック史発掘運動で注目され、1989年には教皇によって殉教者に認定された。現在、この殉教場所では奇跡が相次いで起こったこともあって、殉教者センターが開設された。
大司教区と司教区
編集歴代の中心的宣教師
編集- ルイ・ラノー (Louis Laneau) … 1674年 - 1696年
- R.P.フェルー (R. P. Ferreux) … 1698年まで
- ド・シセ (de Cicé) … 1727年まで
- ド・ケラレー (de Quéralay) … 1736年まで
- R.P.ルメール (R. P. Lemaire) … 1738年まで
- ド・ロリエール (de Loliére) … 1755年まで
- ブリゴー (Brigot) … 1767年まで
- ル・ボン (Le Bon) … 1780年まで
- クーデ (Coudé) … 1785年まで
- ガルノール (Garnault) … 1811年まで
- エスプリ=マリー=ジョセフ・フローラン (Esprit-Marie-Joseph Florens) … 1834年
- ジャン・ポール・ヒレール・ミシェル・クルヴジー (Jean Paul Hilaire Michel Courvezy) … 1841年
- ジャン・バプティスト・パレゴワ (Jean-Baptiste Pallegoix) … 1862年
- フェルナン=デメー=オーグスティン=ジョセフ・デュポン (Ferdinand-Aimé-Augustin-Joseph Dupond) … 1872年まで
- ジョーン=ルイ・ヴェー (Jean-Louis Vey) … 1909年まで
- ルネ・マリー・ジョセフ・ペロー (René Marie Joseph Perros) … 1947年まで
- ルイ・クレモン・ショラン (Louis Clement Chorin) … 1965年まで
- ヨセフ・キアムスーン・ニッタヨー (Joseph Khiamsun Nittayo) … 1963年 - 1965年
1965年バンコク大司教区開設。
備考
編集出典
編集- ^ Asaree Thaitrakulpanich "HERE’S POPE FRANCIS’ SCHEDULE FOR HIS THAILAND VISIT" (2019/10/2 15:26) 2021年1月28日閲覧
- ^ "Interactive, colour-coded maps" Church Cloud Solutions (2021/1/27) 2021年1月28日閲覧
参考文献
編集- タイ=バチカン25年(タイ語・非売品)