セツ・スズキ

日本の彫刻家

セツ・スズキ1953年 - )は、茨城県在住の日本彫刻家

経歴・人物

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1953年、茨城県結城郡八千代町に生まれる。高校卒業後、警察官、仏像彫刻家の内弟子等を経て1980年、東京造形大学(彫刻専攻)を卒業。本格的な作家活動を始める。

セツ・スズキの彫刻家の概念は、通常のそれではなく、もっと大きな視野を含めたものである。「彫刻家とは、世界の事物を、モノのみに囚われるのでなく、広く社会のコトをも視界に入れ、思考し(彫り)、分析し(刻み)、再構成する(くっつける)者のことです」とコンセプトで述べているように、あらゆるモノ、コトが彫刻となりうるという表現の可能性を表明している。

ちなみにこのような社会彫刻の概念は、ドイツの現代美術家ヨーゼフ・ボイスに淵源があるかもしれないが、スズキは、ボイスの意図を十分理解しつつも、彼の従来の彫刻家像への挑発に応戦する形で、レデイ・メイドをあえて使わず、すべてスズキのハンドメイドによる、より困難な制作とプロジェクトに挑戦し続けている。それは、コンセプチャルな現代美術作家が往々にして陥りやすい芸術内芸術の自家中毒というニヒリズムを回避する有効な手法なのかもしれない。

作品移設問題

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1990年、倉敷まちかどの彫刻展入選作"二人の関係? "が公共空間に設置された際、商店街にふさわしくないとのことで市長宛に陳情書が提出され、移転を余儀なくされた。それまで各地で町おこし的に展開されていたパブリック・アートの問題点を大きく浮かび上がらせ、芸術における、個と普遍(公共性)というテーマを大きく問うものとなった。後にスズキは、市民との公開による対話の場を要望したが、一切受け入れられることなく移転は強行された。(1994.3.29毎日新聞文化欄「批評と表現」より)

この問題は、その後の彼の創作動機に一つのベクトルを持たせることになった。

出品・受賞歴

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田植プロジェクト(TAUE PROJECT)

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TAUE2016 nepal

スズキが1997年から「農」を切り口に社会と積極的に関わろうと始めたアート・プロジェクト。アジアの原風景ともいえる水田の中に、彼が日々作りためている「RAKAN」というマスクを取り付けた杭状作品を参加者と共に設置(田植)するというもの。現在、稲作は、ほぼ世界中で行われており、水田をサイトとすることは、今後独自な視点でグローバルな展開が可能ということであり、ユニークである。プロジェクトは現在までに日本国内6回、海外(アジア)4か国で実現を見ている(2016年12月時点)。

出典・参考文献・関連web

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関連項目

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外部リンク

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