マルク (SS Mark)は、ドイツの北ドイツ・ロイドの貨物船。第一次世界大戦中にアメリカに接収され、その後アメリカの民間船スワニー (SS Suwanee)、アメリカ海軍の輸送艦スワニー (USS Suwanee, ID-1320) となった。退役後は再び民間船となり、SS Poznan、Paul Luckenbachと改名されている。太平洋戦争中に日本の潜水艦により撃沈された。

「マルク」は1913年にフェーゲザックブレーマー・ヴルカン造船所で建造された。1914年8月に第一次世界大戦がはじまったとき「マルク」は日本にあり、シュペー艦隊向けの石炭4000トンを積んで神戸を出港した。パガン島で艦隊への補給を行い、しばらく仮装巡洋艦「プリンツ・アイテル・フリードリヒ」および「コルモラン」の補給船として行動した後、「マルク」は1914年10月7日に当時は中立であったアメリカ合衆国領、フィリピンのマニラに逃げ込んだ。

アメリカ南部、おそらくチャールストンに到着した「スワニー」。船上にはヨーロッパからの帰還兵の姿が見られる。1919年撮影。

1917年4月にアメリカ合衆国が参戦すると「マルク」は接収され、アメリカ合衆国船舶委員会の管理下に置かれた。終戦後はアメリカの民間貨物船「スワニー」となった。1919年4月11日、戦後の兵員輸送用としてアメリカ海軍が取得。同日就役した[1]。「スワニー」は少なくとも2度の大西洋横断航海を行った。1919年10月4日、退役。民間船に戻り、後にPolish American Navigationの「SS Poznan」、次いで1922年にR. Luckenbach Steamshipの「Paul Luckenbach」となった。

1942年9月22日、アラビア海で日本「伊号第二十九潜水艦」の雷撃を受け沈没。乗っていた61名全員が生還している。

  • トン数:6,579総トン
  • 排水量:16,240トン
  • 長さ:491フィート2 インチ (149.71 m)
  • 幅:59フィート1インチ (18.01 m)
  • 吃水:26フィート (7.9 m)
  • 速力:12.9ノット

脚注

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  1. ^ Dictionary of American Naval Fighting ShipsNavSource Onlineでは1919年4月11日就役としているが、U.S. Naval Historical Center Online Library of Selected Imagesでは4月の終わりか5月であるとしている。

参考文献

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座標: 北緯10度3分 東経63度42分 / 北緯10.050度 東経63.700度 / 10.050; 63.700