スフバータル・バトボルド
モンゴル首相
スフバータル・バトボルド(モンゴル語: Сүхбаатарын Батболд、1963年6月24日 - )は、モンゴル国の政治家。2009年から2012年まで同国の首相とモンゴル人民党書記長を務めた。
スフバータル・バトボルド Сүхбаатарын Батболд | |
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スフバータル・バトボルド(2010年) | |
生年月日 | 1963年6月24日(61歳) |
出生地 | モンゴル、ウランバートル |
出身校 |
モスクワ国際関係大学 ロンドン・ビジネス・スクール |
前職 | 実業家 |
所属政党 | モンゴル人民党 |
第26代モンゴル国首相 | |
在任期間 | 2009年10月29日 - 2012年8月10日 |
大統領 | ツァヒアギーン・エルベグドルジ |
モンゴル人民党中央委員会書記長 | |
在任期間 | 2009年4月8日 - 2012年7月25日 |
経歴
編集ウランバートル生まれ。母は医師。モスクワ国際関係大学に留学し、経済学を専攻した。卒業後はモンゴル・インペクス・ネグデル(協同組合)の輸出担当局長に就任した。2010年10月には訪日し、朝青龍の断髪式に出席、ハサミを入れている。
2012年3月にも妻と共に日本を訪れ、3月12日には野田佳彦首相と会談した[1]。この中でスフバータルは、モンゴルと日本の間でEPA締結に向けた交渉を開始することで合意し[2]、また世界最大級のタバン・トルゴイ炭田の開発に、日本企業を受け入れることを表明した[3]。
ビジネス
編集石油輸入会社アルタイ・トレーディングを設立した。
後に、会社はアメリカ合衆国のボロー・ゴールド社を買収した以外にも、韓国SKグループと携帯電話事業の「スカイテル」社、アルタイ・カシミア社を設立した。
年譜
編集人物
編集- 自ら「私はどちらかと言えば清廉潔白な人物である」と述べている。
脚註
編集- ^ “スフバータル・バトボルド・モンゴル首相及び同夫人の来日”. 外務省. 2012年3月13日閲覧。
- ^ “日・モンゴル、EPA交渉入り ソフトバンクは自然エネ発電で合意文書”. SankeiBiz. (2012年3月13日)
- ^ “日モンゴルEPA:交渉、首相合意 炭田開発に日本企業”. 毎日新聞. (2012年3月13日)
外部リンク
編集公職 | ||
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先代 サンジャーギーン・バヤル |
モンゴル国首相 第26代:2009年 - 2012年 |
次代 ノロブ・アルタンホヤグ |