ステンリー・ブラード
ステンリー・ブラード(ブラルト、オランダ語: Stanley Brard、1958年10月24日 - )は、オランダの元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはCB(フェイエノールトでは左バック)。
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Stanley Brard | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | オランダ | |||||
生年月日 | 1958年10月24日(66歳) | |||||
出身地 | デン・ハーグ | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF(CB) | |||||
ユース | ||||||
RKSVレニフ・エン・スネル | ||||||
フェイエノールト | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1976-1986 | フェイエノールト | 208 | (10) | |||
1986-1992 | RKCヴァールヴァイク | 184 | (22) | |||
監督歴 | ||||||
フィテッセ(ユース、セカンド) | ||||||
2000-2002 | ADOデン・ハーグ | |||||
2002-2004 | 名古屋グランパスエイト(U-18兼TD) | |||||
2005-2012 | フェイエノールト(育成部長) | |||||
2013-2015 | ガバラFC(育成部長) | |||||
2016 | 名古屋グランパス(AC兼SD) | |||||
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選手歴
編集デン・ハーグで生まれた彼はこの地のサッカークラブ、RKSVレニフ・エン・スネルのユースに所属した。この時にエールディヴィジに所属するフェイエノールトのスカウトに目をつけられ、同チームのユースに移籍した。その数年後の1977年のFCトゥウェンテ戦でトップチームでの初出場を飾った。翌年にはディフェンダーとしての活躍の機会も増え、スターティングメンバーとなる事も増えて行った。彼の経歴の中で最もクラブが輝いたのは1983-84シーズンで、この時にはヨハン・クライフがフェイエノールトに加入している。このシーズンに彼はレフトバックからクライフの前へとポジションを変え、相手右サイドバックのフェイエノールト陣内への侵入を防ぐ役割を果たした。この年にフェイエノールトはリーグ、カップともに制覇した。
しかしその2年後にはベンチ要員となる事が増え、移籍を決断する事となった。彼の移籍したRKCヴァールヴァイクは当時エールステ・ディヴィジに昇格したばかりのクラブで、エールディヴィジへの昇格も志すクラブであった。ここでは中心メンバーとなり、1987-88シーズンにエールディヴィジ昇格を決めた。昇格後も中心メンバーで在り続けたが、1990年になるとスターティングメンバー落ちとなり、最後の2シーズンでは僅か17試合の出場に止まった。そして1992年にサッカー選手を引退した。
監督歴
編集サッカー選手を引退した後はフィテッセのユース監督やセカンドチームの監督として数年を過ごした。その後、ADOデン・ハーグの監督を2000-01、2001-02シーズンの2シーズン務め、テクニカルディレクターも兼任した。2001年12月にはデン・ハーグを去り、名古屋グランパスエイトのU-18監督兼ディレクターに就任、吉田麻也らを育成した。その後2005年にフェイエノールトに戻り育成部長として2012年まで務め、この間に最優秀育成クラブ賞を3度受賞した[1]。
2013年4月から2015年12月にかけてはアゼルバイジャンのガバラFKの育成部長を務めたが、2016年1月に再び名古屋グランパスに戻る事が決まった[2][1][3]。12年ぶりの名古屋ではアシスタントコーチ兼スポーツディレクターに就任した。2016シーズン終了後に退団[4]。
人物
編集いとこのパティ・ブラードは歌手であり、息子のジョシュア・ブラードはプロサッカー選手である。
参考文献
編集- ^ a b “ステンリー・ブラード氏 来季アシスタントコーチ兼スポーツダイレクター就任のお知らせ”. 名古屋グランパス (5 December 2015). 2015年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。15 January 2016閲覧。
- ^ “Stenli Brard "Qəbələ"dən ayrılır” (Azerbaijani). gabalafc.az/. Gabala FK (5 December 2015). 6 December 2015閲覧。
- ^ “名古屋 ステンリー・ブラード氏が12年ぶり復帰 コーチ兼SD就任へ”. スポニチ (5 December 2015). 15 January 2016閲覧。
- ^ “松田も移籍視野 残ってという熱意感じられない”. 中日スポーツ(CHUNICHI Web). (2016年12月3日) 2018年8月19日閲覧。