スタニスワフ・レシニェフスキ
スタニスワフ・レシニェフスキ(Stanisław Leśniewski, 1886年3月30日 - 1939年5月13日)はポーランドの論理学者。モスクワ近郊のセルプコフ生まれ。
スタニスワフ・レシニェフスキ | |
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1910年頃 | |
生誕 |
1886年3月30日 ロシア帝国 セルプホフ |
死没 |
1939年5月13日(53歳没) ポーランド第二共和国 ワルシャワ |
国籍 | ポーランド |
研究分野 | 数学 |
研究機関 | ワルシャワ大学 |
出身校 | リヴィウ大学 |
博士課程 指導教員 | カジミェシュ・トヴァルドフスキ |
博士課程 指導学生 | アルフレト・タルスキ |
プロジェクト:人物伝 |
生涯
編集ドイツ各地の大学で学んだ後、ルヴフ大学にてカジミェシュ・トヴァルドフスキ、ヴァツワフ・シェルピニスキ、ヤン・ウカシェヴィチらに学ぶ。1912年に提出された博士論文は、対象言語とメタ言語の区別に関する先駆的内容を含んでおり、後に彼の弟子となるアルフレト・タルスキの研究に大きな影響を与えた。また、このころ社会主義運動にも身を投じ、一時期ローザ・ルクセンブルクの助手を務めたこともあった。
数学基礎論への関心を強めていたレシニェフスキは、1918年にワルシャワ大学の数学の哲学講座担当講師に就任。オントロジー(Ontology)、メレオロジー(Mereology)、プロトテティック(Protothetic)の三つの体系からなる論理学を展開し、ルヴフ=ワルシャワ学派における論理学研究をリードする存在となった。