スタニスワフ・ラジヴィウ
スタニスワフ・ラジヴィウ(ポーランド語表記:Stanisław Radziwiłł, リトアニア語表記:Stanislovas Radvila, 1559年5月12日 - 1599年3月19日)は、ポーランド・リトアニア共和国の構成国の一つ、リトアニア大公国の大貴族、公(帝国諸侯)。同国に絶大な影響力をもつ大貴族ラジヴィウ家の一員であった。
スタニスワフ・ラジヴィウ Stanisław Radziwiłł | |
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ラジヴィウ家 | |
出生 |
1559年5月12日 リトアニア大公国、ヴィリニュス |
死去 |
1599年3月19日(39歳没) 神聖ローマ帝国、パッサウ |
配偶者 | マリアナ・ミシュカ |
子女 |
スタニスワフ イェジー エルジュビェタ ミコワイ・クシシュトフ アルブレフト・スタニスワフ クリシュティナ |
父親 | ミコワイ・ラジヴィウ・チャルヌィ |
母親 | エルジュビェタ・シドウォヴィエツカ |
生涯
編集スタニスワフは1592年よりリトアニア宮内長官を、1595年よりジェマイティヤ公国総代官をそれぞれ務め、オルィカの初代オルディナト(世襲領主)となった。ミコワイ・ラジヴィウ・チャルヌィの息子の一人として、スタニスワフはカルヴァン派信徒として育てられたが、後には兄弟姉妹たちとともにカトリックに改宗した。彼はきわめて敬虔な人物であったため、「敬虔」を意味するポボジュヌィ(Pobożny)の綽名がついた。また彼はその学術的関心の高さでも知られ、多くの書物を買い集め、様々な言語を操る能力を駆使してそれらを読破していた。彼は政治に関わることはなかったが、国王ステファン・バートリ治下でのリヴォニア戦争には加わり、モスクワ・ロシアと戦った。
参考文献
編集- Margaret Odrowaz-Sypniewska, The Radziwill Dynasty: From Pagan Times to the 1960's - Part One,