ジョン・ロウJohn Lowe, MBE, 1945年7月21日 - )は、イギリスイングランド)のダーツ・プレイヤー。右投げ。ダービーシャー出身。1970年代から1980年代にかけ、特にイギリスにおいて、ダーツを今日ほどまでに巨大な観戦スポーツにした主要ダーツ・プレイヤーの1人。PDC創立者でもある。

ジョン・ロウ

初期

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ロウは、1979年と1987年、そして1993年というように、3つの異なる10年区切りにおいて、ワールド・チャンピオンシップで優勝している。彼は、ダーツの紳士と見なされていたが、ダーツの人気が向上して間もない頃、結果とカリスマ性においてエリック・ブリストウの背後にいる、まさに2番手の象徴だった。彼は、ワールド・チャンピオンシップの準決勝や決勝において6度ブリストウと対峙したが、彼が偉大なライバルを初めてなんとか乗り越えたのは、4度目の試み、すなわち1987年の決勝のことである。彼のメジャー大会での対"Crafty Cockney[1]"戦の記録は、3勝6敗となっている。

ナイン・ダート・フィニッシュ

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ロウは1984年10月13日、ワールド・マッチプレイのトーナメント中、対キース・デラー戦において、全てのダーツプレイヤーが夢見る究極の偉業を達成した。ナイン・ダート・フィニッシュ[2]を成し得たのである。これは、ゴルフホール・イン・ワンスヌーカーの147連続得点のMaximum Break、ボウリングパーフェクト・ゲームなどに相当する。これまで、テレビ中継中、どのダーツプレイヤーも、ナイン・ダート・フィニッシュを成し得たことがなく、このときが初めてのことだった[3]。これにより、ロウは、10万2千ポンドを獲得。その後の試合も彼は勝ち続け、このトーナメントのチャンピオンとなったのである。

タイトルとイングランド代表

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3つの世界タイトルはもちろん、ロウは2つのワールド・マスターズ、2つのブリティッシュ・オープン、2つのブリティッシュ・マッチプレイ・チャンピオンシップ、2つのワールド・カップ・シングルズ、そして3つのヨーロピアン・カップ・シングルズ、以上それぞれの各タイトルを、世界中の数えきれない他のタイトル同様、最高に輝かしいキャリアにさらに華を添える形で、これらを取得した。彼は、100回以上イングランド代表としてプレイし、7年間キャプテンを務めた。その間、彼のチームは、負けたことがない。

主な成績

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 BDO世界選手権
  • 優勝: 3回 (1979, 87, 93)
  • 準優勝: 5回 (1978, 81 – 82, 85, 88)
  • ベスト4: 3回 (1984, 89, 92)
  • ベスト8: 2回 (1983, 86)


 ワールド・マスターズ
  • 優勝: 2回 (1976, 80)
  • 準優勝: 3回 (1981, 87 – 88)
  • ベスト4: 2回 (1983, 90)
  • ベスト8: 4回 (1977, 79, 85, 91)


 英国プロ選手権
  • 優勝: 無し
  • 準優勝: 4回 (1981 – 82, 84 – 85)
  • ベスト4: 1回 (1983)
  • ベスト8: 無し


 MFIワールド・マッチプレー
  • 優勝: 1回 (1984)
  • 準優勝: 1回 (1987)
  • ベスト4: 無し
  • ベスト8: 1回 (1988)


 英国マッチプレー
  • 優勝: 2回 (1978, 85)
  • 準優勝: 1回 (1988)
  • ベスト4: 2回 (1982 – 83)
  • ベスト8: 10回 (1976 – 77, 79, 81, 84, 86 – 87, 89 – 91)


 バトリンズ・グランドマスターズ
  • 優勝: 1回 (1977)
  • 準優勝: 2回 (1978, 81)
  • ベスト4: 1回 (1985)
  • ベスト8: 2回 (1983 – 84)


 ニュース・オブ・ザ・ワールド・ダーツ・チャンピオンシップ
  • 優勝: 1回 (1981)
  • 準優勝: 無し
  • ベスト4: 2回 (1977, 80)
  • ベスト8: 無し


 PDC世界選手権
  • 優勝: 無し
  • 準優勝: 無し
  • ベスト4: 2回 (1995 – 96)
  • ベスト8: 1回 (2000)


 ワールド・マッチプレー
  • 優勝: 無し
  • 準優勝: 無し
  • ベスト4: 2回 (1995, 2002)
  • ベスト8: 1回 (2000)


 ワールド・グランプリ
  • 優勝: 無し
  • 準優勝: 無し
  • ベスト4: 1回 (2001)
  • ベスト8: 1回 (1998)


年度別成績

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BDO PDC
WPC WM MFI WDC WMP WG UK
1976 NH W NH NH NH NH NH
1977 QF
1978 F L16
1979 W QF
1980 L16 W
1981 F F
1982 F L32
1983 QF SF
1984 SF L16 W
1985 F QF L16
1986 QF L32 L16
1987 W F F
1988 F F QF
1989 SF L128 NH
1990 L16 SF
1991 L32 QF
1992 SF L32
1993 W NJ
1994 NJ GS L32
1995 SF SF
1996 SF L16
1997 GS L32
1998 GS L32 QF
1999 L16 L32 NJ
2000 QF QF L32
2001 L16 L16 SF
2002 L16 SF L32
2003 L32 L32 L32 L64
2004 L32 L32 NJ L128
2005 L40 NJ L16

注: 表中のNHは不開催, NJは非参加, QFは準々決勝敗退, SFは準決勝敗退, Fは準優勝, Wは優勝, GSはグループステージ敗退を示す。トーナメント表記は以下の通りである。

WPC: BDOワールド・プロフェッショナル・ダーツ・チャンピオンシップス, WM: ワールド・マスターズ, MFI: MFIワールド・マッチプレイ, WDC: PDCワールド・ダーツ・チャンピオンシップ, WMP: ワールド・マッチプレイ, WG: ワールド・グランプリ, UK: UKオープン

長い選手生命

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ロウの選手生命は、長い。彼は、初開催の1978年から彼の最後の出場となる2005年まで、最高記録の27年連続出場でワールド・チャンピオンシップのテレビ中継された舞台でプレイした。2008年まで毎年、彼は、ワールド・チャンピオンシップの予選を通過しようと試みたが、初期の予選ラウンドに届かなかった。この後、セターンタ・スポーツは、2008年のBetFred リーグ・オヴ・レジェンドをテレビ放映したため、ロウはPDC ワールド・ダーツ・チャンピオンシップに参加する資格が無くなり、それで2009年の同大会では予選に参加することさえできなかった。

しかし、彼はいまだに現役で、ワールド・ランキングを得るためにヨーロッパ中を旅するエネルギーはないが、4度目のワールド・タイトルを取り、100万ポンドを得たいと話している。

2005年には、プロフェッショナルとして30周年目を祝うダーツの表彰の年を楽しんだ。

また、ブリストウとともに中心となって、ダーツの伝説的人物を集め、レジェンド・ツアー[4]を行っている。

彼は、ワールド・プロフェッショナル・ダート・アソシエイション (後のプロフェッショナル・ダーツ・プレイヤーズ・アソシエイション (PDPA) )の事務局長を務めた。

Old Stoneface

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ニックネイムはダーツで大流行していたが、ロウには彼を上手く表現するものがなかった。彼の振る舞いや個性の中にあるものを、誰もがうっかり見過ごしていた。勤勉で落ち着いた名手。誰かが"Old Stoneface"という異名を思いつき、これらの突出した特徴を用いようとするまでは。この名は、2005年に出版されたロウの自伝のタイトルにもなっている。

才能はあるものの横柄なブリストウとは大いに異なり、彼は礼儀正しさと試合中のスポーツマンシップにより、信望もあった。まだ試合中に飲酒を許されていた時、彼はステージ上で他のプレイヤーと大いにアルコールを消費していたものの、ダーツプレイヤーと関わりあいを持つ体重の増加問題とは縁が無かった。彼は健康に気を使っていたという点において、ダーツ界では珍しい人でもある。

ダーツ外での活躍

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ロウは、"Karen"という名前の女性と結婚し、チェスターフィールドに住んでおり、そこで彼らはイングランド最高峰のプレミアリーグに所属するサッカークラブ、サンダーランドAFCを応援していると、英語版ウィキペディアでは紹介されている。

最近では、ジョン・ロウ・ゴルフ・クラシックを開くなど、ゴルフでの活躍も増えている。

世界選手権の結果

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脚注

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  1. ^ エリック・ブリストウのこと。
  2. ^ 2つの180、そして141をT17、T18、最後にD18に入れ達成。
  3. ^ ブリストウは、現在も達成していない。
  4. ^ PDCレフェリーである"The Voice"こと、ラス・ブレイが、レフェリーを務めることもある。

外部リンク

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