ジョン・スミス (財務大臣)

ジョン・スミス英語: John Smith1656年1723年10月2日)は、イギリスの政治家。1678年から1707年までイングランド庶民院英語版議員を、1707年から1723年までグレートブリテン庶民院英語版議員を務め、庶民院議長財務大臣を歴任した。

ジョン・スミス

生涯

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初期の経歴

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テッドワース・ハウス英語版

テッドワース・ハウス英語版のジョン・スミスとメアリー・ライト(Mary Wright、サー・エドマンド・ライトの娘)の四男(ただし、ジョン以外は全員成人せず)として生まれた。姉アンは庶民院議員でロンドン市長のサー・サミュエル・ダッシュウッド英語版と結婚した。1672年5月18日にオックスフォード大学セント・ジョンズ・カレッジに入学、1674年にミドル・テンプルに入った[1]。1679年9月1日、初代準男爵サー・ニコラス・スチュワード英語版の娘アンと結婚したが、アンが1680年に死去した。1683年11月7日、第2代準男爵トマス・ストリックランド英語版の娘アンと再婚した。1690年に父が死去すると遺産を継承、1692年には叔父トマス・スミスの財産も継承した。

政歴

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スミスはホイッグ党所属で中道派であり、最初は1679年2月英語版ラガーシャール選挙区英語版庶民院議員に当選したが、同年8月の選挙では敗れた。1681年イングランド総選挙英語版でも立候補、2選挙区で当選したが、片方の代表となることを選ぶ前に議会が解散された。1689年、ラガーシャール選挙区で再び当選した[2]

1691年12月15日の補欠選挙でベア・アルストン選挙区英語版の議員になり、1694年に下級大蔵卿に任命され、1695年5月23日に枢密顧問官に任命された。1695年イングランド総選挙英語版1698年イングランド総選挙英語版ではアンドーヴァー選挙区英語版から出馬して当選、1699年6月2日には財務大臣に任命された。1701年1月イングランド総選挙英語版で再選したが、議会における勢力再編を受けて1701年3月27日に財務大臣を辞任した。続く1701年11月イングランド総選挙英語版1702年イングランド総選挙英語版1705年イングランド総選挙英語版で再選を果たし、1705年の選挙の後に庶民院議長に選出された。1706年にはスコットランドとの合同交渉を担当するイングランド代表の1人になった。1707年合同法の成立に伴い、スミスはイングランド庶民院最後の議長で、グレートブリテン庶民院最初の議長となった。1708年イギリス総選挙で再選した後、1708年4月22日に財務大臣に任命されるとともに庶民院議長を辞任した。その後、議会解散に伴い1710年8月11日に財務大臣を辞任、1710年イギリス総選挙で再選した後に財務省出納官英語版に任命された。1713年イギリス総選挙では自身が政府の統制下に置かれているとの指摘に怒り立候補しなかった。1714年、財務省出納官に再任、以降1723年に死去するまで務めた[3]

1715年イギリス総選挙1722年イギリス総選挙ではイースト・ロウ選挙区英語版で当選したが、財務省出納官英語版の官職以外は一議員として活動し、大臣職につくことはなかった[4]

死去

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1723年10月2日に死去、サウス・ティッドワース英語版の旧教会に埋葬された。2人目の妻との間でメアリー、アン、トマス英語版など4男3女をもうけており、うち長男トマスはホイッグ党所属の庶民院議員になった。

脚注

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  1. ^ Foster, Joseph. “'Smith-Sowton', in Alumni Oxonienses 1500-1714, ed. Joseph Foster (Oxford, 1891), pp. 1368-1394” (英語). British History Online. 28 November 2018閲覧。
  2. ^ Ferris, John P (1983). "SMITH, John (c.1656-1723), of South Tidworth, Hants.". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2018年11月25日閲覧
  3. ^ Watson, Paula; Wynne, Sonya (2002). "SMITH, John I (c.1655-1723), of South Tidworth". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2018年11月25日閲覧
  4. ^ Cruickshanks, Eveline (1970). "SMITH, John (?1655-1723), of South Tidworth, Hants". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2013年5月17日閲覧

参考文献

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イングランド議会 (en
先代
ウィリアム・アシュバーナム英語版
ジョージ・レッグ英語版
庶民院議員(ラガーシャール選挙区英語版選出)
1679年
同職:トマス・ニール英語版
次代
トマス・ニール英語版
ジョン・ガラード英語版
先代
ヘンリー・クラーク英語版
トマス・ニール英語版
庶民院議員(ラガーシャール選挙区英語版選出)
1689年 – 1690年
同職:ジョン・ディーン
次代
ジョン・ディーン
トマス・ニール英語版
先代
サー・フランシス・ドレイク
ジョン・スウィンフェン英語版
庶民院議員(ベア・アルストン選挙区英語版選出)
1691年 – 1695年
同職:ジョン・スウィンフェン英語版 1691年 – 1694年
サー・ヘンリー・ホバート準男爵英語版 1694年 – 1695年
次代
ジョン・エルウィル英語版
サー・ヘンリー・ホバート準男爵英語版
先代
フランシス・ポーレット
ジョン・ポレン
庶民院議員(アンドーヴァー選挙区英語版選出)
1695年 – 1707年
同職:サー・ロバート・スミス 1695年 – 1698年
アンソニー・ヘンリー英語版 1698年 – 1701年
フランシス・シェパード 1701年 – 1707年
次代
グレートブリテン議会
グレートブリテン議会英語版
先代
イングランド議会
庶民院議員(アンドーヴァー選挙区英語版選出)
1707年 – 1713年
同職:フランシス・シェパード 1707年 – 1708年
ウィリアム・ギドット英語版 1708年 – 1713年
次代
ウィリアム・ギドット英語版
サー・アンブローズ・クロウリー英語版
先代
チャールズ・ヘッジス
エドワード・ジェニングス
庶民院議員(イースト・ロウ選挙区英語版選出)
1715年 – 1723年
同職:ジェームズ・ベートマン 1715年 – 1718年
ホレーショ・ウォルポール 1718年 – 1722年
ウィリアム・ラウンズ英語版 1722年 – 1724年
次代
モールパス子爵
ウィリアム・ラウンズ英語版
公職
先代
チャールズ・モンタギュー
イングランド財務大臣
1699年 – 1701年
次代
ヘンリー・ボイル
先代
ロバート・ハーレー
イングランド庶民院議長
1705年 – 1706年
次代
グレートブリテン議会
先代
イングランド議会
グレートブリテン庶民院議長
1707年 – 1708年
次代
リチャード・オンズロー
先代
ヘンリー・ボイル
グレートブリテン財務大臣
1708年 – 1710年
次代
ロバート・ハーレー
先代
ジェームズ・ヴァーノン英語版
財務省出納官英語版
1710年 – 1712年
次代
マンセル男爵英語版
先代
マンセル男爵英語版
財務省出納官英語版
1714年 – 1723年
空位
次代の在位者
ジョージ・トレビー英語版