ジョルジュ・ヴェジーナ
ジョルジュ・ベジーナ(フランス語: Georges Vézina、1887年1月21日 - 1926年3月26日)は、カナダ連邦ケベック州シクーティミ出身のプロアイスホッケー選手。ポジションはゴールテンダー。
ジョルジュ・ベジーナ | |
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本名 | ジョセフ・ジョルジュ・ゴンザーグ・ベジーナ |
原語名 | Joseph Georges Gonzague Vézina |
愛称 | シクーティミ・キューカンバ |
国籍 | カナダ |
生誕 出生地 |
1887年1月21日 カナダ ケベック州シクーティミ |
死没 | 1926年3月27日(39歳没) カナダ ケベック州シクーティミ |
身長 体重 |
5 ft 6 in (1.68 m) 185 lb (84 kg; 13 st 3 lb) |
ポジション | ゴールテンダー |
キャッチ | 左手 |
所属歴 | モントリオール・カナディアンズ (1910 - 1926) |
プロ選手期間 | 1910年 – 1925年 |
1945年殿堂入り |
経歴
編集1910年から1925年までモントリオール・カナディアンズに所属し、ナショナル・ホッケー・アソシエイションで7シーズン及びナショナルホッケーリーグ(NHL)で9シーズンに渡りプレーした。この間レギュラーシーズン327試合及びプレーオフ39試合に連続出場していたが、1925年に病のため試合途中で退場した。
1910年から1925年までカナディアンズでプレーした唯一のゴールテンダーでありスタンレー・カップファイナルに5回出場(1919年のファイナルはシリーズ中にスペイン風邪でジョー・ホールが亡くなったため中止された。)、1916年、1924年の優勝に貢献した。また7シーズンに渡りリーグ最少失点の成績を残した。
NHLは彼の功績を称えて1926-1927年シーズンよりヴェジーナ賞(当初は最少失点の選手に、1981年からは各チームの監督、GMの投票)を創設した。
1945年にホッケーの殿堂が設立された際、最初に推薦された12人の1人となった。
人物
編集死後にカナディアンズの監督だったレオ・ダンドゥランドはヴェジーナには22人の子供がいると発言したことが報道されたが、これは移民してきたフランス系カナダ人の子供であったヴェジーナが英語が十分に話せなかったためであり、実際の子供は2人であった。