ジョニー・スミス (ジャズ・ギタリスト)
ジョン・ヘンリー・スミス2世(John Henry Smith II、1922年6月25日 - 2013年6月11日)は、アメリカ合衆国のクール・ジャズ、メインストリーム・ジャズのギタリスト。1954年に「急がば廻れ (Walk, Don't Run)」を作曲した。1984年には、アラバマ・ジャズの殿堂入りを果たした。
ジョニー・スミス | |
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出生名 | John Henry Smith II |
生誕 |
1922年6月25日 アメリカ合衆国 アラバマ州バーミングハム |
死没 |
2013年6月11日 (90歳没) アメリカ合衆国 コロラド州コロラドスプリングス |
ジャンル | ジャズ |
職業 | ミュージシャン |
担当楽器 | ギター |
活動期間 | 1935年–1992年 |
レーベル |
コロムビア・レコード コンコード・レコード ルースト・レコード ルーレット・レコード ヴァーヴ・レコード |
共同作業者 |
ビング・クロスビー カウント・ベイシー スタン・ゲッツ ベニー・グッドマン スタン・ケントン |
公式サイト |
www |
生い立ち
編集世界恐慌の時期、スミスの一家はアラバマ州バーミングハムから、移住し、いくつもの都市を経て、メイン州ポートランドにたどり着いた[1]。
スミスは、あちこちの質屋で、調弦をする代わりにギターを弾かせてもらいながら、自学自習で演奏を学んだ。13歳のときには、他人にギターを教えていた。スミスにギターを習ったひとりが、新しいギターを買ったときに古いギターをスミスに譲ったが、これが彼が所有した最初のギターとなった[1]。
スミスは、メイン州各地のダンス会場や、フェア、その他の演奏会場を回っていた地元のヒルビリー・バンド、アンクル・レムとザ・マウンテン・ボーイズ (Uncle Lem and the Mountain Boys) に加わった。一晩の演奏で、稼ぎは4ドルだった。彼は高校を退学し、この仕事に専念することにした[1]。
やがてラジオから聞こえるジャズ・バンドの音楽に興味を増していったスミスは、徐々にカントリー・ミュージックから離れ、ジャズを演奏するようになっていった。18歳でザ・マウンテン・ボーイズを離れた彼は、エアポート・ボーイズ (Airport Boys) というバラエティ・トリオに加わった[2]:10。
兵役
編集知り合いのパイロットから飛行機の操縦を学んでいたスミスは、軍用機のパイロットになりたいと考え、アメリカ陸軍航空隊に志願した[1]。しかし、彼は左眼に視覚障害があり、飛行訓練には不適合とされた[1][3]。そこで軍楽隊に入るか、整備士の学校に送られるか、と選択肢を示されたスミスは、軍楽隊に入った。スミスによると、このとき彼はコルネットとアルバンの教則本を与えられ、2週間で必要な技量を身につけるよう指示されたが、その時点では楽譜すら読めなかった[1][3]。整備士学校には行くものかと決意したスミスは、軍楽隊長から勧められた通り、汲み取り式便所で2週間コルネットの練習に明け暮れ、試験に合格した[1][3]。
ミュージシャンとしてのキャリア
編集ジョニー・スミスは、多様性をもったミュージシャンであり、有名なジャズ・クラブであったバードランドでの演奏も、ニューヨーク・フィルハーモニックのオーケストラピットで楽譜を読みながらの演奏も、同じように自在にこなした。シェーンベルクからガーシュウィンまでの作品を演奏したスミスは、1950年代において最も多才なギタリストのひとりであった。
1946年から1951年にかけては、NBCのスタッフとしてスタジオ・ギタリスト、編曲者を務め、以降はフリーランスとして1958年までこの仕事を続け、ソロからフル・オーケストラまで、また、モート・リンゼイ、アーロ・ハルツ (Arlo Hults) と組んだトリオ「ザ・プレイボーイズ (The Playboys)」と、様々な演奏形態で演奏した[2]:26。
スミスの演奏は、クローズポジション・コード (closed-position chord) のヴォイシングと、素早く上昇していくライン(ジャンゴ・ラインハルトにも似ているが、半音階によるより、全音階を基にしていることが多い)が特徴となっている。有名な1952年に吹き込んだ演奏以降、1960年代にかけて、彼はルースト・レコードに録音を残し、もっぱらこの時期の演奏によって名声を築くことになった。後にはモザイク・レコードが、ルーストの音源の大部分をCD8枚組のセットにして発売した[4]。
1952年に出たシングル「Moonlight in Vermont」は[5]、『ダウン・ビート』誌がレコード・オブ・ザ・イヤーの第2位に選んだ[6]。スタン・ゲッツをフィーチャーした「Moonlight in Vermont」は、当初は1953年に出た10インチLP『Jazz at NBC』(Roost RLP 410)の収録曲として発表されたが[7]、後には、いち早く1952年に出ていた内容が異なる同名の10インチLP『Jazz at NBC』(Roost RLP 413) [8]の内容と合わせて編集された1956年の12インチLP『Moonlight in Vermont』のタイトル曲となった[9]。
彼の作曲作品として最も有名なのは、1954年の「急がば廻れ」であるが[10]、これはあるレコーディング・セッション用に、「朝日のごとくさわやかに (Softly, as in a Morning Sunrise)」のコード展開に基づく対旋律として書かれたものである。ギタリストのチェット・アトキンスは、この曲をカバーし、新古典派的な装いを与えてエレクトリック・ギターで演奏し、アルバム『Hi-Fi in Focus』に収録したが、これは後のザ・ベンチャーズによるヒットに3年先んじていた。アトキンスは、(スミスとは異なる)指使いをしており、ベース音のA-G-F-Eの動きもそうであるが、これは後のベンチャーズの編曲の元となった。ベンチャーズを結成することになるメンバーたちは、アトキンスのバージョンを聴き、これを単純化して速度を上げ、1960年に吹込みをした。ベンチャーズ盤は1960年9月に、『ビルボード』誌のトップ100で最高2位まで上昇した。
1957年、スミスは、二人目の子どもとともに、妻を産褥死で失った。彼は、幼い娘を一時的に預けるため、コロラドスプリングスの母の元に送ったが、翌年にはニューヨークでの多忙な演奏の仕事を捨てて、娘のいるコロラド州へと移り住んだ。当地では、楽器店を営みながら、音楽を教え、娘を育て、さらに1960年代まで、ロイヤル・ルーストやヴァーヴ・レコードのためにアルバムを吹き込んだ[11]。『ニューヨーク・タイムズ』紙の死亡記事によると、彼は2001年に、『Colorado Springs Independent』紙の取材に、次のように語っていたという。「結局、すべては、僕が娘を愛し過ぎていて、自分のキャリアのために娘を危うい状態にできないと思った、というところから始まったんだ。もちろん、理由はほかにもある。ニューヨークは音楽という面では愛していたけど、生活するのは嫌だった。」この死亡記事で、『ニューヨーク・タイムズ』紙は、次のようにも記している。「スミスはその後も吹込みを続け、時にはコロラドのナイトクラブで演奏もしたが、ほとんどすべての巡業の誘いを断っていた。例外のひとつだったのは、ビング・クロスビーのツアーで、スミスはクロスビーとともに1977年にイングランドでのツアーに出かけたが、このツアーは、クロスビーが死去したため短い日程で打ち切られた。[11]」
脚注
編集注釈・出典
編集- ^ a b c d e f g Campbell, Bob (2001年3月15日). “Guitar Legend Johnny Smith Alive and Well in Colorado Springs”. Colorado Springs Independent
- ^ a b Flanagan, Lin (2015). Moonlight in Vermont: The Official Biography of Johnny Smith. Anaheim Hills: Centerstream Publishing. ISBN 978-1-57424-322-2
- ^ a b c "Johnny Smith Goes Full Circle" (PDF) (Interview). Interviewed by Charles H. Chapman [in 英語]. 2008年11月21日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2017年4月3日閲覧。
- ^ “Mosaic Records: The Complete Roost Johnny Smith Small Group Sessions (#216)”. 2012年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年4月3日閲覧。
- ^ Johnny Smith Quintet Featuring Stan Getz – Johnny Smith Quintet Featuring Stan Getz - Discogs
- ^ Flanagan, Lin (2015). Moonlight in Vermont: The Official Biography of Johnny Smith. Anaheim Hills: Centerstream Publishing. pp. 43. ISBN 978-1-57424-322-2
- ^ Johnny Smith Quintet – Jazz At NBC - Discogs
- ^ Johnny Smith Quintet Featuring Stan Getz – Jazz At N B C - Discogs
- ^ Johnny Smith Quintet Featuring Stan Getz – Moonlight In Vermont - Discogs (発売一覧)
- ^ “Bart Stringham - Jazz Guitarist : The Song That Launched A Thousand Ships”. Bartstringham.com. 2013年6月18日閲覧。
- ^ a b Vitello, Paul (2013年6月18日). “Johnny Smith, Venerable Jazz Guitarist, Dies at 90”. The New York Times: p. A20
外部リンク
編集- 公式ウェブサイト
- Johnny Smith interview at NAMM Oral History Library
- ジョニー・スミス - オールミュージック
- ジョニー・スミス - Discogs
- ジョニー・スミス - Find a Grave