ジョゼフ・ドランブール
フランス系ドイツ人の言語学者 (1811-1895)
ジョゼフ・ドランブール[注釈 1](フランス語: Joseph Derenbourg、またはフランス語: Joseph Naftali Derenburg、1811年8月21日 - 1895年7月29日)はフランス系ドイツ人の言語学者である。
人物情報 | |
---|---|
生誕 |
1811年8月21日 プロイセン王国 マインツ |
死没 |
1895年7月29日(83歳没) ドイツ帝国 バート・エムス |
出身校 |
ギーセン大学 ボン大学 |
子供 | アルトヴィグ・ドランブール |
学問 | |
研究分野 |
言語学 オリエント学 |
研究機関 | 高等研究実習院 |
指導教員 | ゲオルク・フライターク |
学会 | フランス文学院 |
主な受賞歴 | レジオンドヌール勲章シュヴァリエ(1869年) |
経歴
編集1811年、フランス占領下のマイヤンス(マインツ)で弁護士のジャコブ・ドランブールの末子として生まれる。ユダヤ人の教育に大きな影響を及ぼす。サアディア・ベン・ヨセフの著書の編纂につとめる。1895年バート・エムスで亡くなる。子に同じく言語学者のアルトヴィグ・ドランブールがいる。
著書
編集- Essai sur l'histoire ella geographic de la Palestine (Paris, 1867)
- Opuscules et traitds dAbou-l-Walid (翻訳,1880)
- Deux Versions hebraIques du livre de Kalildh ci Dimnak (1881)
- Joannis de Capua directorium vitae humanae (1889)
- Commentaire de Maimonide sur la Mischnah Seder Tohorot (Berlin, 1886-1891)
脚注
編集注釈
編集- ^ または「ジョゼフ・ナフターリー・ドランブール」。