ジョアキン・アゴスティーニョ
ジョアキム・フェルナンデス・アゴスティーニョ(Joaquim Fernandes Agostinho、1942年4月7日-1984年5月10日)は、ポルトガルの元自転車競技選手。
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基本情報 | ||||
本名 | ジョアキム・フェルナンデス・アゴスティーニョ | |||
生年月日 | 1942年4月7日 | |||
没年月日 | 1984年5月10日(42歳没) | |||
国籍 | ポルトガル | |||
選手情報 | ||||
分野 | ロードレース | |||
役割 | 選手 | |||
最終更新日 2016年5月31日 |
経歴
編集ヴォルタ・ア・ポルトガル総合3連覇(1970年~1972年)、国内選手権・個人ロードレース6連覇(1968年~1973年)、ポルトガル最優秀自転車選手賞10回を受賞した、今でもポルトガルを代表する名選手。
ツール・ド・フランスは1969年に初出場し、通算8回の総合ベスト10入りを果たす。1978年、1979年にはいずれも総合3位に入り、79年のツールでは、ラルプ・デュエズの区間を制している。ブエルタ・ア・エスパーニャでは3回総合ベスト10入りを果たし、とりわけ1974年の大会では終盤に猛追。最終ステージの個人タイムトライアルを制するなどして、ホセ・マヌエル・フエンテを最後まで追い詰めたが、わずか11秒差及ばず総合2位となった。なお、1977年のツール・ド・フランスでは第18ステージで勝利しながらもドーピング違反により区間記録を剥奪され、総合時間も所要時間プラス10分間の罰則処分を受けた。
1984年、ポルトガル南部のアルガルヴェで開催されたヴォルタ・アン・アルガルヴェのレース中、コースに現れた犬とぶつかり、バランスを崩して転倒。頭部を強打し、意識不明となった。そのとき、アゴスティーニョはヘルメット等の頭部防備品は着用していなかった(当時、ヘルメットの着用義務は無かった)。一時は回復の兆候を見せたものの、5月10日、脳内出血のため他界した。
ツール・ド・フランス総合成績
編集関連項目
編集外部リンク
編集- ジョアキン・アゴスティーニョ - サイクリングアーカイヴス
- 1979年、ツール・ド・フランス ラルプ・デュエズ優勝VTR(YouTube)