ジュリア・ベアトリス・ハウ

ジュリア・ベアトリス・ハウ(Julia Beatrice How、1867年10月16日1932年8月19日)はイギリス生まれで、主にフランスで活動した画家である。母親と幼児を描いた絵などで人気があった。

ジュリア・ベアトリス・ハウ
Julia Beatrice How
ハウ作「看護師」
生誕 1867年10月16日
イギリス, Bideford, Devon
死没 1948年1月19日
イギリス, Hoddesdon
テンプレートを表示
ジュリア・ベアトリス・ハウ作「母親(Maternité)」Atkinson Art Gallery and Library(マージーサイド、イギリス)蔵

略歴

編集

イングランド南西部、デヴォン州のBideford の銀細工師の末子に生まれた[1]。両親はハウが成人する前に亡くなった[2] 。家族とボーンマスに移った後、ハートフォードシャーのブッシー(Bushey)のフーベルト・フォン・ヘルコマーが運営する美術学校で学んだ[2] 。1893年頃、さらに修行するためにパリに渡り、私立の美術学校、アカデミー・ドレクリューズ(Académie Delécluse)で学んだ。

1902年からフランス国民美術協会の展覧会に出展を始め、この展覧会に生涯を通じて147点の作品を出展した[2] 。 国民美術協会の重要な出展者のオーギュスト・ロダンアルベール・ベナールリュシアン・シモンらの作品から影響を受けた[2] 。パステル画、油絵、水彩画など様々な作品を描いた。夏の間はパ=ド=カレー県のキュクフランス語版のコテッジで過ごし、印象派の画家たちが集まったフランス、パ=ド=カレー県のエタプル(Étaples)にスタジオを開き、エタプルの画家たちと交流した[2]

2009年に出版された「The dictionary of British women artists」ではハウは「イギリスでの評価は低かったが、フランスやアメリカではベルト・モリゾメアリー・カサットのような有名な女性画家と並ぶ存在だと考えられた」としている[2]。1904年にフランス国民美術協会の準会員に選ばれた。

1905年にイギリスで出版されたウォルター・ショー・スパロー(Walter Shaw Sparrow: 1862–1940)の「Women Painters of the World」は1905年までの200人の女性画家と300点を超える女性画家の作品を掲載しているが、ハウの作品2点が掲載されている[3]

特に母親と子供を描いた作品で人気があった。

ハートフォードの姪の家で倒れ、Hoddesdonで亡くなった。

脚注

編集
  1. ^ Waters, Grant. “Julia Beatrice How (1867-1932) | Oil, Pastel Painter | Angmering | West Sussex | UK”. grantwatersfineart.co.uk. 2018年3月3日閲覧。
  2. ^ a b c d e f E.), Gray, Sara (Sara (2009). The dictionary of British women artists. Cambridge: Lutterworth Press. pp. 142. ISBN 9780718830847. OCLC 608209762 
  3. ^ Women painters of the world, from the time of Caterina Vigri, 1413-1463, to Rosa Bonheur and the present day, by Walter Shaw Sparrow, The Art and Life Library, Hodder & Stoughton, 27 Paternoster Row, London, 1905