ジュリアス・マレマ

南アフリカの政治家

ジュリアス・セロ・マレマことジュリアス・セロ・マレマ(Julius Sello Malema)(1981年3月3日 -)は、南アフリカ共和国の政治家。経済的解放の闘士党首(2013年7月27日~)を務めている。

ジュリアス・マレマ
Julius Malema
経済的解放の闘士最高司令官(党首)
就任
2013年7月26日
代理官フロイド・シバンブ
個人情報
生誕 (1981-03-03) 1981年3月3日(43歳)
セシェゴ, トランスヴァール州, 南アフリカ
政党アフリカ民族会議 (1990–2012)
経済的解放の闘士 (2013–現在)
フローラ・マロディ=マレマ

概要

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2012年までジェイコブ・ズマ大統領の側近及び支持者としてANCに所属していたが、マレマ自身の憲法違反などが膨らみANCから制裁を受け、マレマとズマの関係は緊張状態に走った。2012年4月にとうとうANCから追放されると、新政党「経済的開放の闘士」を結成。国有化黒人民族主義マルクス・レーニン主義ムアンマル・カダフィ理論を南アフリカに適応させるとし、貧困にあえぐ黒人から支持を拡大。中国共産党との深いつながりもある。

彼の批判者は、マレマを「南アフリカを不安定化させる無謀なポピュリスト」と指摘しており[1]白人を差別する逆差別的な姿勢やヘイトスピーチで2回有罪判決を受けている。1回目は2010年3月にズマ大統領のレイプ告発者に関する屈辱的なコメントで、2回目は2011年9月に『ドゥブール・イブヌ英語版』(「ボーア人を撃て」、「ボーア人を殺せ」の意)を歌ったことで有罪判決を受けた。

EFF党に対する批判者であるANC青年同盟現会長のコレン・マラツィはメディアの取材で「マレマは私達(アフリカ民族会議)をカルト化させよう目論んでいた」と警鐘を鳴らしている[2]

生い立ちと政界入りまで

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1981年3月3日、トランスヴァール州ポロクワネ近くのセシェゴの町で生まれ育った[3]。彼の母、フローラ・マロディ(=マレマ)は北部ソト人である。

学生時代

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マレマによれば、9歳か10歳の頃にANCのマスパツェラ運動に参加したという。当時の彼の主な任務は国民党のポスターを撤去することであった。ANC青年同盟にも加入していた経歴もある。

関連項目

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出典

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  1. ^ Hamill, James (2010-04). “A (Qualified) Reaffirmation of ANC Hegemony: Assessing South Africa's 2009 Election”. Politikon 37 (1): 3–23. doi:10.1080/02589346.2010.492147. ISSN 0258-9346. https://doi.org/10.1080/02589346.2010.492147. 
  2. ^ Morgan, Kayleen. “'Malema wanted to turn the ANCYL into a cult like the EFF' - Collen Malatji” (英語). ewn.co.za. 2023年11月11日閲覧。
  3. ^ Malema, Julius (2013-12-10), Nationalize the Mines, Duke University Press, pp. 561–564, https://doi.org/10.2307/j.ctv125jpdf.106 2023年8月25日閲覧。