ジュムガルベク・アマンバエフ

ジュムガルベク・アマンバエフ1946年2月2日 - 2005年2月11日)は、キルギスの政治家。

生涯

編集

ナルイン州ジュムガル地区チャエク村出身。1966年、キルギス農業大学、1985年、ソ連共産党中央委員会附属社会科学アカデミーを卒業。生物科学博士。

キルギス畜産・獣医科学研究所の試験場の畜産技手、研究生、オシュ州国営種畜牧場長、キルギス共産党オシュ州委員会課副主任、主任として働く。1978年~1985年、党アライスキー地区委員会第一書記、州委員会書記。1988年~1991年、党中央委員会書記。1988年~1991年、党イスイク・クラ州委員会第一書記。1989年~1994年、最高会議代議員。1990年~1991年、州会議議長。1990年10月25日、最高会議での大統領選挙に立候補したが敗北。1991年4月~8月、党中央委員会第一書記。

1989年~1991年、ソ連人民代議員。第12期キルギスタン最高会議代議員。1991年、ソ連共産党中央委員会委員、政治局員。

1992年、キルギス共和国センター「アグロビジネス」所長顧問。1993年~1995年、副首相。

2005年2月10日、支持者との会見中に体調不良を訴え、翌日心不全で死去。

パーソナル

編集

妻帯、1男1女を有する。

労働赤旗勲章、名誉記章勲章を受章。キルギスタン功労畜産技手。

先代
アブサマト・マサリエフ
キルギス共産党第一書記
1991年 - 1991年
次代
-