ジュゼッペ・フリーノ
イタリアのサッカー選手
ジュゼッペ・フリーノ(Giuseppe Furino、1946年7月5日 - )は、イタリア、パレルモ出身の元同国代表の元サッカー選手。ポジションは守備的MF。
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Giuseppe Furino | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1946年7月5日(78歳) | |||||
出身地 | パレルモ | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1965-1966 | ユヴェントス | 0 | (0) | |||
1966-1968 | → サヴォーナ (レンタル) | 61 | (7) | |||
1968-1969 | → パレルモ (レンタル) | 27 | (1) | |||
1969-1984 | ユヴェントス | 361 | (8) | |||
代表歴 | ||||||
1970-1974 | イタリア | 3 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集ユヴェントスの下部組織を経て、サヴォーナ、パレルモに貸し出された。1969年にユヴェントスへ複帰。ユヴェントスでは長年に渡ってキャプテンを務め、8度のリーグ優勝などを果たした。1982-83シーズンの後半から、マッシモ・ボニーニにポジションを奪われる形となった[1]。翌1983-84シーズン限りで現役を引退した。ユヴェントス通算528試合に出場した[2]
イタリア代表での試合出場は僅か3試合だが、1970年のワールドカップに参加し、準優勝を経験。グループリーグのウルグアイ戦では出場を果たした[3]。
新型コロナウィルスに感染し、本人は回復したが、感染した妻を失った[4]。
タイトル
編集ユヴェントス
編集- セリエA : 1971-1972, 1972-1973, 1974-1975, 1976-1977, 1977-1978, 1980-1981, 1981-1982, 1983-1984
- コッパ・イタリア: 1978-1979, 1982-1983
- UEFAカップ : 1976-1977
- UEFAカップウィナーズカップ : 1983-1984
出典
編集- ^ “Massimo Bonini: The Juventus dynamo who became San Marino’s greatest”. THE GENTLEMAN ULTRA. 2023年8月23日閲覧。
- ^ “HAPPY BIRTHDAY, FURINO!”. JUVENTUS. 2023年8月25日閲覧。
- ^ “Giuseppe Furino”. Transfermarkt. 2023年8月25日閲覧。
- ^ “Giuseppe Furino ricoverato per un'emorragia cerebrale”. SKY (2022年3月29日). 2023年8月25日閲覧。