ジャン2世・ド・ブリエンヌ
ジャン2世・ド・ブリエンヌ(Jean II de Brienne, 1250年ごろ - 1294年6月12日)は、ウー伯アルフォンス・ド・ブリエンヌとマリー・デクソダン(リュジニャン)の息子[1]。母マリーはウー伯領の相続人であり、ジャン2世は1260年に母よりウー伯位を継承した(ウー伯年代記およびウーの教会の死者名簿には、アルフォンスについて「アルフォンス卿」あるいは「エルサレム王の息子アルフォンス」とされており、「伯爵」の称号が付されていないことから1260年のマリーの死により伯位が息子に継承されたとみられている)。ジャン1世ともいわれる。
ジャン2世・ド・ブリエンヌ Jean II de Brienne | |
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ウー伯 | |
在位 | 1270年 - 1294年 |
出生 |
1250年ごろ |
死去 |
1294年6月12日 フランス王国、–クレルモン=アン=ボーヴェジー |
配偶者 | ベアトリス・ド・サン=ポル |
子女 |
ジャン3世 イザベル ジャンヌ マルグリット マオー |
家名 | ブリエンヌ家 |
父親 | ウー伯アルフォンス・ド・ブリエンヌ |
母親 | ウー女伯マリー・デクソダン |
ジャン2世はサン=ポル伯ギー3世の娘ベアトリスと結婚し[1]、以下の子女をもうけた。
- ジャン3世(1302年没) - ウー伯[2]
- ジャンヌ(1325年3月12日以降没) - テュレンヌ子爵レーモン6世(1304年没)と結婚、1314年8月4日以前にピキニー領主ルノー(1315年没)と結婚
- マオー(1328年以降没) - アルフォンソ・デ・ラ・セルダと結婚[2]
ジャン2世は1294年にクレルモン=アン=ボーヴェジーで死去した。
脚注
編集- ^ a b Pollock 2015, p. 184.
- ^ a b Perry 2018, p. xxiii.
参考文献
編集- Perry, Guy (2018). The Briennes: The Rise and Fall of a Champenois Dynasty in the Age of the Crusades, c. 950-1356. Cambridge University Press
- Pollock, M.A. (2015). Scotland, England and France after the Loss of Normandy. The Boydell Press
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