ジャン=ポール・ゴルチエ
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ジャン=ポール・ゴルティエ(Jean-Paul GAULTIER, 1952年4月24日 - )は、フランス・オー=ド=セーヌ県バニュー生まれのファッションデザイナーであり、また彼の持つファッションブランドである。フランス語の読みでは"ゴルチェ"は"ゴチェ"となる。
ジャン=ポール・ゴルチエ Jean-Paul Gaultier | |
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Gaultier in 2006 | |
生誕 |
1952年4月24日(72歳)[1] フランス・アルクイユ |
レーベル |
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非婚配偶者 | Francis Menuge (from 1975; died 1990)[2] |
親戚 |
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公式サイト |
jeanpaulgaultier |
概要
編集祖母がお針子で洋裁の基本を幼時から遊び乍ら身に付け、デザイナーになるための教育は受けなかったという。その代わり、自分のスケッチをスタイリストなどに送り、認められてピエール・カルダンのアシスタントになった。1976年に初めて自分のレディース・コレクションJean-Paul GAULTIERを発表。1977年3月パリの「バスストップ」(オンワード樫山経営)の専属デザイナーに応募し、女性店長の強い推薦で馬場彰社長が採用を決めた[3]。1978年にオンワード樫山とスティリスト契約を結び独立。1981年からオンワード樫山とライセンス契約をした。1980年代には下着ルックやボンデージ・ファッションなどを発表して話題になった。1984年春夏からメンズ・コレクションを発表。1997年春夏コレクションからオートクチュール・コレクションGAULTIER PARISも発表している。
2004年秋冬からエルメスのレディース・プレタポルテのデザイナーも兼任している。
映画の衣装もしばしば手がけている。
- 「フィフス・エレメント」(リュック・ベッソン)、
- 「コックと泥棒、その妻と愛人」(ピーター・グリーナウェイ)、
- 「キカ」(ペドロ・アルモドバル)
- 「ロスト・チルドレン」(ジャン=ピエール・ジュネ)
などは彼が衣装を手掛けた作品である。
マドンナの舞台衣装も製作したことがある。また、クリス・カニンガムが手掛けたプロモーション・ビデオ「フローズン」でもマドンナは彼のドレスを着ている。
日本のアーティストにもファンが多く、80年代に活躍したBOØWYが樫山とのタイアップで衣装を着用したり、1989年には、THE ALFEEのライブとゴルティエのファッションショーが融合したイベントツアー「THE ALFEE with Jean-Paul GAULTIERツアー」を催した。このツアーでは、ALFEEのメンバーの衣装をJean-Paul GAULTIERで統一。前半と後半の間では15分間のファッションショーが催された。
宝塚歌劇花組公演「SPEAKEASY〜風の街の悪党たち」(1998年上演)や星組公演「プラハの春」(2002年上演)の衣装も手がけたことでも知られている。
2020年1月22日にパリで行われた2020年春夏オートクチュールコレクションを最後に引退を表明した。
主なブランド名
編集- Jean Paul GAULTIER : レディース・プレタポルテ部門
- GAULTIER2(ゴルチエ・トゥー・ザ・パワー・オブ・トゥー) : メンズ・プレタポルテ部門(2006年秋冬よりスタート。2008年春夏からはメンズサイズ・レディースサイズと分けられた上で展開)
- GAULTIER PARIS : レディース・オートクチュール部門
- HERMES : レディース・プレタポルテ
映画
編集公開年 | 原題 | 役名 | 備考 |
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2001 | Absolument fabuleux | ジャン=ポール・ゴルチエ |
脚注
編集- ^ Price Alford, Holly; Stegemeyer, Anne (25 September 2014). Who's Who in Fashion. London: Bloomsbury Academic. p. 151. ISBN 9781609019693
- ^ “Jean-Paul Gaultier interview”. www.telegraph.co.uk. The Telegraph (8 December 2010). 30 May 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。30 May 2015閲覧。
- ^ 「私の履歴書 馬場彰⑰ ゴルチェ」日本経済新聞 2013年2月18日