ジャスティン・エディンバラ
イングランドのサッカー選手、指導者
ジャスティン・チャールズ・エディンバラ(Justin Charles Edinburgh, 1969年12月18日 - 2019年6月8日)は、イングランド・バジルドン出身の元サッカー選手・指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(LSB)。2017年より2019年6月死去までレイトン・オリエントFCの監督を務めた。
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2010年 | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ジャスティン・チャールズ・エディンバラ Justin Charles Edinburgh | |||||
ラテン文字 | Justin Edinburgh | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イングランド | |||||
生年月日 | 1969年12月18日 | |||||
出身地 | バジルドン | |||||
没年月日 | 2019年6月8日(49歳没) | |||||
身長 | 175cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (LSB) | |||||
利き足 | 左 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1988-1990 | サウスエンド | 37 | (0) | |||
1990 | → トッテナム (loan) | 0 | (0) | |||
1990-2000 | トッテナム | 215 | (1) | |||
2000 | → ポーツマス (loan) | 1 | (0) | |||
2000-2003 | ポーツマス | 34 | (1) | |||
2003-2006 | ビラリキー | |||||
通算 | 287 | (2) | ||||
監督歴 | ||||||
2003-2006 | ビラリキー (選手兼任) | |||||
2006 | フィッシャー・アスレティック | |||||
2007-2008 | グレイズ・アスレティック | |||||
2009-2011 | ラシュデン&ダイヤモンズ | |||||
2011-2015 | ニューポート・カウンティ | |||||
2015-2017 | ジリンガム | |||||
2017 | ノーサンプトン | |||||
2017-2019 | レイトン・オリエント | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2019年3月12日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
選手経歴
編集1988年にサウスエンド・ユナイテッドFCで選手としてのキャリアをスタートさせると、1990年にトッテナム・ホットスパーFCへ移籍した。トッテナムでは1991年にFAカップ制覇、1999年にフットボールリーグカップ制覇を経験した。トッテナムでは10年に渡り所属し、200試合以上の試合に出場した。
監督経歴
編集2003年に加入したビラリキー・タウンFCで選手兼任として監督のキャリアをスタートさせた。
2011年より指揮をとったニューポート・カウンティAFCではチームをフットボールリーグ2昇格に導いた[1] 。
2017年1月にノーサンプトン・タウンFCの監督に就任したが、8月に不振により解任された。
2017年11月よりレイトン・オリエントFCの監督に就任した。2018-19シーズン、チームをカンファレンス・ナショナル優勝に導いた。
2019年6月1日、マドリードで行われたUEFAチャンピオンズリーグ 2018-19の決勝を古巣トッテナム・ホットスパーFCの元同僚たちと現地観戦していたが、2日後の6月3日に心臓発作で病院に緊急入院した。しかし5日後の6月8日に意識が戻らないまま息を引き取った。49歳没[2]。
獲得タイトル
編集- 現役時代
- トッテナム
- FAカップ:1回 (1990-91)
- フットボールリーグカップ:1回 (1998-99)
- チャリティ・シールド:1回 (1991)
- 指導者時代
- レイトン・オリエント
- カンファレンス・ナショナル:1回 (2018-19)
脚注
編集- ^ Hughes, Dewi (5 May 2013). “Wrexham 0–2 Newport”. BBC Sport 12 March 2019閲覧。
- ^ “スパーズレジェンドで現レイトン・オリエント指揮官のエディンバラ氏が49歳で急逝…”. 超ワールドサッカー (2019年6月8日). 2019年6月30日閲覧。