ジャクリーヌ・ヴーヴ

スイスの映画監督、文化人類学者 (1930-2013)

ジャクリーヌ・ヴーヴJacqueline Veuve1930年1月29日 - 2013年4月18日)は、スイス映画監督文化人類学者である。ドキュメンタリー作品で知られる、「ヌーヴォー・シネマ・スイス」の映画作家のひとり。

ジャクリーヌ・ヴーヴ
Jacqueline Veuve
生年月日 (1930-01-29) 1930年1月29日
没年月日 (2013-04-18) 2013年4月18日(83歳没)
出生地 パイェルヌ
国籍 スイスの旗 スイス
受賞
ロカルノ国際映画祭
エキュメニカル審査員賞
1982年Parti sans laisser d'adresse
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来歴・人物

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1930年1月29日、スイス・ヴォー州フランスとの国境の入り組んだ地域パイェルヌで、イヴォンヌ&モーリス・ルベ夫妻の娘として生まれたジャクリーヌは、1956年、レオポルド・ヴーヴと結婚、のちにマルティーヌとローランの二児をもうける。

ローザンヌで古典を専攻、ジュネーヴの司書古文書学校に学んだ(1952年 - 1953年)のち、彼女はフランス・パリに上京、卒業証書の仕事をした際に、人類博物館にいた映画監督・文化人類学者のジャン・ルーシュと出会う(1955年)。

1966年、映画作家イヴ・イェルサンとの共同作業を始め、処女短篇『Le panier à viande』を撮る。映画監督として知られるようになり、教員免許を取得、ジュネーヴのコレージュ(進路指導期)で教鞭をとり、学校のためのたくさんのドキュメンタリー映画を演出するポストを得た。1970年代の初めに渡米、マサチューセッツ工科大学で、文化人類学者・同校映画学部長のリチャード・リーコックと仕事をする。この時期(1972年 - 1973年)、米国内のフェミニズム運動についての短編映画を2本撮る。

1974年、自らの製作会社「アクエリアス・フィルムズ」をローザンヌに設立。以来、仕事の優先順位を替え、彼女のもっとも重要な作品となる処女長篇映画『La mort du grand-père ou Le sommeil du juste』を撮り、同作は、1978年ロカルノ国際映画祭に選ばれ上映される。1982年には、初めての長篇劇映画『Parti sans laisser d'adresse』に挑戦、1992年にはふたたび長篇劇映画『l'Evanouie』を撮った。

彼女は60本以上の映画を演出し、スイスはもちろん、ときにはフランス、アメリカで活動し、数々の国際映画祭に作品が出品された。

ノスタルジーなしにひとつの国の武力、農民、ワイン農家、救世軍、職人、そしてもちろん女性について映画をつくり、また記述をする。この監督は、スイスの土地に密着したもっとも重要なドキュメンタリー映画人として、すでに定着している。

受賞歴

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  • 1972年、カンヌ国際映画祭映画と若者賞(『Les Lettres de Stalingrad』)
  • 1987年、イタリア・ジベリーナの星賞(『Diable d'or』)
  • 1987年、アルペン国際映画祭SSR特別賞
  • 1989年、パリ・人類博物館、第八回民族誌映画国際ショーケース、祖国民族学ミッション賞
  • 1989年、アルペン国際映画祭大賞(『Les Diablerets』)
  • 1992年、ミュンヘン映画祭名誉賞
  • 1991年、シカゴ国際金のヒューゴー賞
  • 1991年、ヴォー州芸術振興創造基金、ヴォー州芸術グランプリ
  • 1998年、スイス映画賞最優秀ドキュメンタリー賞(『Journal de Rivesaltes 1941-1942』)

フィルモグラフィー

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1960年代 - 1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
  • Le salaire de l'artiste 2000年 共同監督
  • Delphine Seyrig, portrait d'une comète 2000年
  • Le chalet du cœur 2000年
  • Jour de marché 2002年
  • La nébuleuse du cœur 2005年
  • La petite dame du Capitole 2005年

参考書籍

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関連事項

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外部リンク

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