ジャクソン・ヘインズ
ジャクソン・ヘインズ(Jackson Haines, 1840年 - 1875年6月23日[1])は、アメリカニューヨーク出身の男性フィギュアスケート選手。 音楽とバレエをフィギュアスケートに取り入れたフリースケーティングを考案し、「近代フィギュアスケートの父」と呼ばれる。1976年世界フィギュアスケート殿堂入り。
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1866年 | ||||
生誕 | 1840年 | |||
死没 |
1875年6月23日 フィンランド | |||
出身地 | ニューヨーク | |||
選手情報 | ||||
世界フィギュアスケート殿堂 1976年 | ||||
代表国 | アメリカ合衆国 | |||
指導者情報 | ||||
元指導選手 | アービング・ブロコウ | |||
記録 | ||||
シットスピンを考案 |
経歴
編集スケートを始める前はアメリカニューヨーク出身のバレエ・ダンサーであった。1863年に非公式であるがアメリカ選手権チャンピオンとなる。 1864年にヨーロッパに渡り、ウィーンでスケーティングにバレエのポーズやダンス・ステップを取り入れることを考案した。ベートヴェンやシューベルトの曲を使用した[2]。彼のスケートは「インターナショナルスタイル」呼ばれた。これが現在のフィギュアスケートの原型となった。 スピンの基本姿勢のひとつであるシットスピンを考案し、このスピンは「ジャクソン・ヘインズ・スピン」とも呼ばれている。
ヨーロッパ各地でスケート学校を開き、スケートの普及に努めた。門弟には、1888,1889,1891年アメリカ選手権優勝のルイス・ルベンスタイン(Louis Rubenstein)、1906年アメリカ選手権優勝のアービング・ブロコウらがいる。
1875年、フィンランドにて死去。墓石に「米国人のスケート王」("In remembrance of the American Skating King.")[1]と刻まれた[2]。1976年に世界フィギュアスケート殿堂入りした。
脚注
編集外部リンク
編集- フィギュアスケートの歴史 : フィギュアスケート | J SPORTS - ウェイバックマシン(2012年11月5日アーカイブ分)
- フィギュアスケート スポーツ辞典 | ライブラリ | 笹川スポーツ財団