ジャアファル・ハーン
ジャアファル・ハーン(? - 1789年1月23日)は、ザンド朝の第7代君主(在位:1785年 - 1789年)。
ジャアファル・ハーン | |
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ザンド朝 シャー | |
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在位 | 1785年 - 1789年 |
死去 |
1789年1月23日 |
子女 | ルトフ・アリー・ハーン |
王朝 | ザンド朝 |
父親 | サーディク・ハーン |
生涯
編集父は第5代のサーディク・ハーンで、初代カリーム・ハーンの甥である。1782年に父が一族のアリー・ムラード・ハーンに背かれてシーラーズを攻められた際、父を裏切ってアリー・ムラード・ハーンに内通した。このため、彼だけは助命されて重用された。
しかし1785年にアリー・ムラード・ハーンがカージャール朝との戦いに敗れて戦死すると、その跡を継いでイスファハーンを奪回した。しかしカージャール朝の反撃を受けてシーラーズに撤退した。以後、カージャール朝と交戦するが、1789年に部下の反乱を受けて暗殺された。
跡を子のルトフ・アリー・ハーンが継いだ。