ジブラルタル包囲戦 (1779年-1783年)

第十四次包囲戦、アメリカ独立戦争の戦闘

ジブラルタル包囲戦(ジブラルタルほういせん、英語: Great Siege of Gibraltar)は、アメリカ独立戦争の期間に、ジブラルタルイギリスからの奪取を目的としてスペインフランスによって起こされた戦い。奪取は不成功に終わり、4年近い包囲を耐え抜いたジブラルタルは難攻不落の要塞としてその名をとどろかせることになった。

ジブラルタル包囲戦

『ジブラルタル浮き砲台の敗北、1782年9月』
ジョン・シングルトン・コプリー画
戦争アメリカ独立戦争
年月日1779年6月24日 - 1783年2月7日
場所ジブラルタル
結果:イギリスの勝利
交戦勢力
イギリス スペイン
フランス
指導者・指揮官
ジョージ・オーガスタス・エリオット クリヨン公爵
フェデリコ・グラビーナ
戦力
5,500 - 7,000 名、砲 96 門 40,000 名、砲 246 門
損害
戦死 333 名
負傷 911 名
病死 536 名
死傷、捕虜、行方不明 5,000 名(1782年9月13日の攻勢)
アメリカ独立戦争

背景

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1779年6月、スペインはイギリスに宣戦布告した。フランスはすでに前年にイギリスに宣戦していた。フランスとスペインは失った領土をイギリスから取り戻すだけでなく、ジブラルタルを無力化することも狙っていた。ジブラルタルはイギリスの地中海支配の要であった。[1]

経過

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1779年7月、フランスとスペインの軍隊はジブラルタルに駐屯するイギリス軍を包囲した。ジョージ・オーガスタス・エリオットの指揮するイギリス軍は、3年以上にわたる砲撃と封鎖に苦しめられた。包囲戦における最大の戦いは1782年9月13日に発生した。兵100,000名と48隻の艦船からなるフランス・スペイン連合軍がイギリス軍に攻撃を仕掛けたが、守備隊はそれに耐え抜いた。

このとき、スペインは筏に湿った砂を充填した新兵器「浮き砲台」を考案し、ジブラルタルに肉薄して精確な砲撃を行うことを企図したが、イギリスはこれに炉で熱した砲弾を浴びせて撃退した。

1783年2月、ついに包囲は解かれた。ジョージ・オーガスタス・エリオットはバス勲爵士に列せられ、ジブラルタルの初代ヒースフィールド男爵となった。ヴェルサイユ条約は、それ以前の諸条約の取り決めを追認した。

芸術分野での反応

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音楽

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絵画

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『ジブラルタル浮き砲台の敗北、1782年9月』
ジョン・シングルトン・コプリー
 
『1781年11月27日朝のジブラルタル守備隊の襲撃』
ジョン・トランブル

参考文献・資料

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  • Chartrand, René (English). Gibraltar 1779–1783: The Great Siege. Patrice Courcelle (1st Edition ed.). Gibraltar: Osprey Publishing. ISBN 9781841769776. オリジナルの2007年9月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070927003243/http://www.ospreypublishing.com/title_detail.php/title%3DS9770 
  • Bond, Peter. “Gibraltar's Finest Hour The Great Siege 1779-1783” (English). 300 Years of British Gibraltar 1704-2004 (1st Edition ed.). Gibraltar: Peter-Tan Publishing Co.. pp. pages 28-29 

注記

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  1. ^ The Great Siege of Gibraltar”. The Keep Military Museum. 2007年8月6日閲覧。
  2. ^ 他者による管弦楽版あり。
  3. ^ K.Anh.25 (386d) 「おおカルペよ、お前の足もとに雷鳴がとどろく」”. 2013年6月24日閲覧。
  4. ^ Defeat of the Floating Batteries at Gibraltar”. Collage. 2007年7月30日閲覧。
  5. ^ The Sortie Made by the Garrison of Gibraltar, 1789”. Acquired Tastes-Trumbull. 2007年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月6日閲覧。