ジェームズ・クレイグ・ワトソン
ジェームズ・クレイグ・ワトソン(James Craig Watson、1838年1月28日 - 1880年11月22日)は、カナダのオンタリオ州に生まれ、カナダとアメリカで活動した天文学者。
発見した小惑星 | |
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(79) エウリノーメ | 1863年9月14日 |
(93) ミネルバ | 1867年8月24日 |
(94) アウロラ | 1867年9月6日 |
(100) ヘカテ | 1868年7月11日 |
(101) ヘレナ | 1868年8月15日 |
(103) ヘラ | 1868年9月7日 |
(104) クリメネ | 1868年9月13日 |
(105) アルテミス | 1868年9月16日 |
(106) ディオネ | 1868年10月10日 |
(115) テューラ | 1871年8月6日 |
(119) アルタエア | 1872年4月3日 |
(121) ヘルミオネ | 1872年5月12日 |
(128) ネメシス | 1872年2月25日 |
(132) アエトラ | 1873年6月13日 |
(133) キレネ | 1873年8月16日 |
(139) 瑞華 | 1874年10月10日 |
(150) 女媧 | 1875年10月18日 |
(161) アトール | 1876年4月19日 |
(168) シビラ | 1876年9月28日 |
(174) ファエドラ | 1877年9月2日 |
(175) アンドロマケ | 1877年10月1日 |
(179) クリュタイムネストラ | 1877年11月11日 |
ワトソンの家族は1850年にミシガン州アナーバーに転居した。
15歳のときミシガン大学に合格。古代言語を専攻した。また、フランツ・ブリュヌーンに天文学の講義を受ける[1]。
この後、フランツ・ブリュヌーンに代わりデトロイト天文台の第2代所長となった。1868年には『天文理論』という本も書いている。
ワトソンは79番小惑星エウリノーメをはじめとして22の小惑星を発見している[2]。そのうち一つは瑞華であり、北京で発見した。命名は中国当局の発案である[3]。
ワトソンは、水星より太陽の近くを廻る惑星「バルカン惑星」の存在を信じていたが、今日ではそのような天体がないことが知られている。彼は1878年7月ワイオミング州で日食の際に2つのバルカン惑星を観測できたと信じていた。
1880年、腹膜炎のため42歳で死去した。天文学以外の分野で非常に儲け、その財産でジェームズ・クレイグ・ワトソン・メダルを設立し、3年ごとに天文学者に全米科学アカデミーで賞与されるように寄付している。
参考文献
編集- ^ Hinsdale, Burke (1906). History of the University of Michigan. Ann Arbor, MI: University of Michigan. pp. 235–236
- ^ “Minor Planet Discoverers”. MPC. 2021年8月7日閲覧。
- ^ Linda T. Elkins-Tanton - Asteroids, Meteorites, and Comets (2010) - Page 96 (Google Books)
- ^ “(729) Watsonia = 1912OD = 1944 DP”. MPC. 2021年8月7日閲覧。
- Richard Baum and William Sheehan (1997). In Search of Planet Vulcan, The Ghost in Newton's Clockwork Machine. ISBN 978-0-306-45567-4