ジェリー・ローリングス
ジェリー・ジョン・ローリングス(英語: Jerry John Rawlings、1947年6月22日 - 2020年11月12日)は、ガーナ共和国第8代および第10代国家元首、第4共和政の初代大統領。アクラ出身。
ジェリー・ローリングス Jerry Rawlings | |
ジェリー・ローリングス(2019年撮影)
| |
任期 | 1993年1月7日 – 2001年1月7日 |
---|---|
副大統領 | カウ・ンケンセン・アルカー ジョン・アッタ・ミルズ |
任期 | 1981年12月31日 – 1993年1月7日 |
任期 | 1979年6月4日 – 1979年9月24日 |
出生 | 1947年6月22日 英領ゴールド・コースト、アクラ |
死去 | 2020年11月12日(73歳没) ガーナ、アクラ |
政党 | 国民民主会議 |
プロフィール
編集ガーナ空軍大尉だった1979年に軍事クーデターでフレッド・アクフォ軍事政権を打倒し、軍事革命評議会(AFRC)議長に就任[1]。第8代国家元首となったもののすぐに民政移管をおこない、ヒラ・リマン大統領に政権を移譲する。しかし、リマン政権は機能不全を起こし、経済の停滞が続いたため、1981年に2度目のクーデターを起こし、今度は長期軍事政権を布いた。
ローリングスは、当初社会主義を志向したものの、やがて1983年以降構造調整を実施し、ガーナ経済は年率5%程度の安定成長を遂げるようになり、これによって政情も安定した。
1992年、民主化を実施し、複数政党制を導入。大統領選挙では政情の安定及び経済発展を評価され、第4共和政の初代大統領に就任[2]。1996年の選挙でも大勝するも、憲法の三選禁止の規定により、2000年の大統領選挙には出馬しなかった。
2020年11月12日に首都アクラの病院で73歳で死去[3]。
政権運営と政治姿勢
編集ローリングスは大統領に在任中『民衆がエリートに押しつぶされたなら、軍隊は民衆に自由を与えるべきだ』と述べていた。彼の政治的立場は、軍部出身でありながらエリートや階級構造、政府高官らの汚職や腐敗を批判するポピュリズム、大衆迎合的な物であったとされる。また、白い服を着用し、大柄な体格、顎髭、サングラス姿で住民と話し合うその様は「よく響く太い声でクマのような大男」とさえ呼ばれ、その親しみやすさから現在でもガーナの現代史に深い影響を与えている。ローリングスのそういった姿勢は、ブルキナファソの革命家トーマス・サンカラ、ギニアの暫定大統領であるママディ・ドゥンブヤにも影響を与えた。
在任中にはクワメ・エンクルマが推進した反帝国主義的な外交政策を行い、かつ反米的な物であった。内政面でも、当初は左派的な政策を実施したが、1983年以降は構造調整やIMFからの借款で経済を建て直した。
脚注
編集- ^ 片山正人「現代アフリカ・クーデター全史」叢文社 2005年 ISBN 4-7947-0523-9 239ページ
- ^ 高根務『ガーナ 混乱と希望の国』p.121, アジア経済研究所、2003年11月7日 ISBN 978-4258051045
- ^ “Jerry Rawlings: Ghana's ex-president dies aged 73”. BBC News. BBC. (2020年11月12日) 2020年11月13日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- ジェリー・ローリングス公式 - ウェイバックマシン(2018年11月4日アーカイブ分)
公職 | ||
---|---|---|
先代 (第四共和政移行) |
ガーナ共和国大統領 第四共和政初代:1993-2001 |
次代 ジョン・アジェクム・クフォー |
先代 ヒラ・リマン |
ガーナ共和国国家元首 第10代:1981-1993 |
次代 (第四共和政で再選) |
先代 フレッド・アクフォ |
ガーナ共和国国家元首 第8代:1979 |
次代 ヒラ・リマン |
外交職 | ||
先代 ニセフォール・ソグロ |
西アフリカ諸国経済共同体議長 第16代:1994 - 1996 |
次代 サニ・アバチャ |