シーム・カラス
シーム・カラス(エストニア語: Siim Kallas、1948年10月2日 - )は、エストニアの政治家。同国の首相、財務相、外務相、リーギコグ(国会)議員を歴任したほか、欧州委員会(バローゾ委員会)のエストニア選出委員を2004年から2014年にかけて務めた。エストニア改革党の党員、元党首。自由主義インターナショナル副会長も務め、ソビエト連邦時代は共産党党員だった[1]。娘にエストニア首相のカヤ・カラスがいる。
シーム・カラス Siim Kallas | |
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シーム・カラス(2010年) | |
生年月日 | 1948年10月2日(76歳) |
出生地 |
ソビエト連邦 エストニア・ソビエト社会主義共和国 タリン |
出身校 | タルトゥ大学 |
所属政党 | エストニア改革党(ER) |
配偶者 | クリスティ・カラス |
在任期間 | 2002年1月28日 - 2003年4月10日 |
2010年のエイヤフィヤトラヨークトルの噴火の際にカラスは欧州委員会の運輸担当副委員長として、緊急会合において飛行機の運行再開の延長を主導したことで[2]、国際航空運送協会より非難の的にされた[3]。
経歴
編集- 1948年 タリンに生まれる。
学歴
編集- 1967年 - 72年 タルトゥ大学で予算と財政について学ぶ。修士号
- 1968年 - 72年 同大学の軍事学部で学ぶ。
- 1972年 - 75年 同大学で環境経済学を学ぶ。博士号
職歴
編集- 1975年 - 79年 エストニア・ソビエト社会主義共和国財務省の専門家
- 1979年 - 86年 貯蓄銀行中央局長
- 1986年 - 89年 共産党機関紙「ラフヴァ・ハール」副編集長
- 1989年 - 91年 エストニア労働組合中央組合議長、最高会議議員
- 1991年 - 95年 エストニア銀行総裁
- 1995年 - 04年 リーギコグ(国会)議員
- 1995年 - 96年 外務大臣
- 1996年 欧州評議会の閣僚委員会委員長
- 1999年 - 02年 財務大臣
- 2002年 - 03年 首相
- 2004年 - 10年 欧州委員会総務・監査・不正防止担当委員、副委員長
- 2010年 - 14年 欧州委員会運輸担当委員、副委員長
人物
編集母語のエストニア語に加えて英語、フィンランド語、ロシア語、ドイツ語に堪能であるほか、フランス語も話すことができる。エストニア人の血を引くバルト・ドイツ人で医師のクリスティ・カラスとの間に、息子と娘を一人ずつもうけた。このうち、娘のカヤ・カラスは2021年にエストニアの首相に就任している。また、引退後もエストニアの国家としての地位回復に積極的に関わっている。
脚注
編集- ^ http://www.carloscoelho.eu/dossiers/comissao_europeia/cv_kallas_en.pdf
- ^ “STATEMENT BY V-P SIIM KALLAS FOLLOWING THE EXTRAORDINARY MEETING OF TRANSPORT MINISTERS”. 欧州委員会 (2010年4月20日). 2022年7月25日閲覧。
- ^ “Remarks of Giovanni Bisignani at a Press Breakfast in Paris, April 2010”. 国際航空運送協会 (2010年4月19日). 2022年7月25日閲覧。
参考文献
編集- KALLAS Siim International Who's Who. 2006年9月4日 閲覧。
外部リンク
編集- 欧州委員会のメンバー 英語など23ヶ国語
公職 | ||
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先代 リーヴォ・シニヤルフ |
エストニアの外務大臣 1995年 - 1996年 |
次代 トーマス・イルヴェス |
先代 ニールス・ヘルヴェグ・ピーターセン |
欧州評議会 閣僚委員会会長 1996年 |
次代 タルヤ・ハロネン |
先代 マルト・ラール |
エストニアの首相 2002年 - 2003年 |
次代 ユハン・パルツ |
先代 創設 |
欧州委員会 エストニア選出委員 2004年 - 2014年 |
次代 アンドルス・アンシプ |
先代 ペドロ・ソルベス |
欧州委員会 経済・通貨問題担当委員 2004年 (ホアキン・アルムニアと共同) |
次代 ホアキン・アルムニア |
先代 ニール・キノック (行革担当) |
欧州委員会 総務・監査・不正防止担当委員 2004年 - 2010年 |
次代 マロシュ・シェフチョビッチ (機構間関係・行政担当) アルギルダス・シェメタ (税制・関税同盟、監査・不正防止担当) |
先代 アントニオ・タイヤーニ |
欧州委員会 運輸担当委員 2010年 - 2014年 |
次代 ヴィオレタ・ブルツ |