シンキングマシンズ(Thinking Machines Corporation)は、1982年にW.D. HillisとSheryl Handlerが設立したスーパーコンピュータ製造企業である。

Hillisがマサチューセッツ工科大学で研究していた並列コンピューティングアーキテクチャであるコネクションマシンを商用化するのが起業の目的であった。1984年にはMIT人工知能研究所と競合しているケンドール・スクエア・リサーチ社に近いマサチューセッツ州ケンブリッジのケンドール・スクエアに移転。他の競合企業としてはCM-2互換機を販売するMasParや後にCM-5互換機を販売するMeikoがある。

製品

編集

コネクションマシンの全機種を時系列に列挙するとCM-1、CM-2、CM-200、CM-5、CM-5Eとなる。コネクションマシンにはCommon Lispからの派生である*Lisp、Connection Machine Lisp、C言語からの派生であるC*、通常のFORTRANプログラムを自動的に並列化するコンパイラである並列化FORTRANなど超並列マシン向けの特製プログラミング言語がいくつか用意された。CM-1からCM-200まではSIMDアーキテクチャで、CM-5とCM-5EはMIMDアーキテクチャである。

歴史

編集

シンキングマシンズは1989年米国国防総省高等研究計画局(DARPA)との契約によって黒字となった。1990年には6500万ドルの収入があり、並列スーパーコンピュータ市場のリーダーに躍り出た。1991年クレイIBMからDARPAが不当にシンキングマシンズを助成しているという訴えがあった。1992年、同社は再び赤字に転じた。社長の Sheryl Handlerは公共の批判にさらされた。

シンキングマシンズ社は1994年8月に倒産。後に小さなソフトウェア企業として再生し、かつてのライバルだった並列スーパーコンピュータ用のアプリケーションを開発している。

分散

編集

ハードウェア技術者の多くはサン・マイクロシステムズに移り、エンタープライズシリーズの並列コンピュータを設計した。シンキングマシンズのビジネス・スーパーコンピュータ部門で開発されたDrawinというデータマイニングソフトウェアはオラクル社に買い取られた。 Darwinの設計に関わっていたチームはDun & Bradstreet(D&B、ビジネス情報会社)に移った。

関連人物

編集

創業者以外でシンキングマシンズ社に勤務または関係していた有名人には、以下のような人々がいる。

外部リンク

編集