シルビア・クリステル

オランダのファッションモデル、映画女優 (1952-2012)

シルビア・クリステル(Sylvia Kristel、1952年9月28日[1] - 2012年10月17日[2])は、オランダユトレヒト出身のファッションモデル映画女優。身長174センチメートル[3][4]。瞳はモスグリーン[4]

シルビア・クリステル
Sylvia Kristel
シルビア・クリステル Sylvia Kristel
シルビア・クリステル(1973年撮影)
生年月日 (1952-09-28) 1952年9月28日
没年月日 (2012-10-17) 2012年10月17日(60歳没)
出生地 オランダの旗 オランダ ユトレヒト
職業 女優
ジャンル 映画、テレビ
活動期間 1972年 - 2010年
主な作品
エマニエル夫人
チャタレイ夫人の恋人
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1990年のカンヌ映画祭にて
シルビア・クリステル(2009年撮影)

来歴

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両親はオランダユトレヒトで宿屋を経営していた[4][5]。妹と弟が1人ずついる。その宿屋に11年間住んだ[4]。2006年にフランスで出版された自叙伝「Nue」(英語の「Nude」) によると9歳の時に宿泊客にレイプされた。両親は仕事に忙しく、子供に酒を与えて寝かしつけていた。自叙伝ではドラッグやアルコールに溺れた生活や、歳の離れた男性に惹かれてしまう性癖が記されている。さらには11歳の頃からヘビースモーカーであった。12歳から15歳まで宗教関係の寄宿学校で学ぶ[4]。14歳の時に父親が家を出ていき両親は離婚。17歳でモデルの仕事を始めた。アムステルダムの大学へ入ったが中退[4]ウェイトレスファッションモデル秘書など20種類に近い職業を転々[4]1973年にはミスコンテスト「Miss TV Europe」で優勝している。IQが165あり[6]、小学校では4学年を飛び級という経験をしている。言葉は、オランダ語英語フランス語ドイツ語イタリア語を話せるという、マルチリンガルな才能を持つ。

どうしても映画女優になりたくて、クロード・ルルーシュに売り込みに行ったり[4]、オランダのショウビジネス界に影響力を持つピム・デ・パラに売り込み[4]、パラの紹介で3本のオランダ映画に出演し、女優の道を歩き始めた[4]

1973年に『処女シルビア・クリステル/初体験』で映画デビュー[1]。3本のオランダ映画は全て1973年製作で[4]、タイトルは、『Because of the Cats』『Frank en Eva』『Naakt over de schutting』で、『エマニエル夫人』公開前は全て日本で未公開のため、それぞれ『猫が原因』『フランクとエバ』『フェンス越しの裸体』と直訳されていた[4]。映画デビュー作は日本では『猫が原因』と報道されていたが[4]、『エマニエル夫人』公開後のシルビア人気で『Frank en Eva』を『処女シルビア・クリステル/初体験』と日本語タイトルを付け、これを映画デビュー作と称して日本でも公開された[4]

オランダ時代に27歳年長のベルギー作家詩人・フーゴ・クラウスと同棲し[4]、1975年に生まれたアルチュールという息子が1人おり[4]、彼もまた映画俳優になっている[7]1970年代半ばを通して、フーゴ・クラウスと交際していた。

1974年エマニュエル・アルサンの人気小説『エマニュエル』を映画化したソフトコア映画『エマニエル夫人』に出演し、世界的な名声を獲得する。その後の続編3作とテレビシリーズにも出演している。

彼女は自らエマニュエルのような役を自分のはまり役と考え、しばしばこのような役を演じている。例としてチャタレイ夫人第一次世界大戦での女性スパイ、マタ・ハリなどが挙げられる[1]

彼女は映画で共演したイアン・マクシェーンとともに、息子のアルチュールを残して、アメリカ・ロサンゼルスに移住。アメリカでの女優としての成功を目指した。しかし、イアンとの5年間の同棲は結局破綻した。この間にコカインを覚えた。その後、2度の結婚を経験。相手はアメリカ人ビジネスマン(5ヶ月で離婚)と次は映画プロデューサーであったが、破産により関係も破綻。その後、ベルギーのラジオ番組のプロデューサーと10年間ほど暮らした。2002年喉頭癌2004年には肺癌の手術を受けている。

2008年9月、日本のテレビ番組『SMAP×SMAP』にゲスト出演している[7]

晩年はオランダのアムステルダムに居住。年下の男性と同棲し、絵を描くことに没頭して暮らした。2012年6月に咽頭癌の手術を受け、その後に脳卒中で倒れてアムステルダムの病院に入院していた[7]。同年10月17日、入院先の病院で死去[8]。60歳没。

主な出演作品

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出典

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  1. ^ a b c Full Biography”. ニューヨーク・タイムズ. 2012年10月7日閲覧。
  2. ^ 時事ドットコム”. 時事通信社. 2012年10月18日閲覧。
  3. ^ 「洋画サロン 試写室」『スタア』1976年1月号、平凡出版、124–125頁。 
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 早川龍男「洋画サロン スタア ストーリー SYLVIA KRISTEL "私はポルノ女優じゃない"」『スタア』1975年11、12月号、平凡出版、119–121頁。 
  5. ^ Biography”. filmreference.com. 2012年10月7日閲覧。
  6. ^ Adieu Sylvia Kristel, Goodbye Emmanuelle” (2012年10月18日). 2020年2月10日閲覧。
  7. ^ a b c FRIDAY 2012年7月20日号(7月6日発売)96-97頁 脳卒中に倒れた『エマニエル夫人』は幸せだったのか
  8. ^ エマニエル夫人…シルビア・クリステルさん死去 読売新聞 2012年10月18日閲覧

外部リンク

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