アフメッド・シランヨ
アフメッド・モハメッド・マハムド(ソマリ語: Axmed Maxamed Maxamuud、1938年 - 2024年11月13日または11月15日)は、ソマリランドの政治家。2010年から2017年までソマリランドの大統領を務めた[1]。平和統一開発党(クルミエ党)党首。通称はシランヨ(Siilaanyo)。
アフメッド・シランヨ Axmed Maxamed Maxamuud "Siilaanyo" | |
アフメッド・シランヨ
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任期 | 2010年7月27日 – 2017年12月14日 |
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出生 | 1938年 イギリス領ソマリランド・ブラオ |
死去 | 2024年11月13日 (85–86歳没) |
政党 | 平和統一開発党 |
生涯
編集イサック氏族のハバ・ジェクロ支族に生まれた。1946年から1957年にかけてシャイフとアモウドで中等教育を受けた。1958年から1960年にかけてイギリスの一般教育修了試験(Aレベル)を通過し、1960年から1963年にかけてマンチェスター大学に在学し経済学の学士号を取得。1966年にマンチェスター大学の修士号を取得した。
1965年から 1969年にかけソマリア・モガディシオで事業調整省の高級官僚として勤務した。
1969年から1973年にかけ、事業調整相、1973年から1978年、1980年から1982年にかけ、商業相、1978年から1980年にかけ、国内経済会議議長を歴任した。
1982年から1990年にかけ、ソマリ国民運動イギリス支部の議長をつとめ、これは最長の任期であった。1993年から1997年にかけて、ソマリランド共和国下院議員。
1997年から1999年には財務相として財政改革を主導した。
1999年から2000年にかけて、 事業調整相についたが2001年に辞任した。
2003年に大統領選挙に出馬したが僅差で落選し、2010年の大統領選挙で現職のダヒル・リヤレ・カヒン大統領を破り当選。2010年7月27日に大統領職に就いた。2017年12月14日に退任。
2024年11月に死去。家族の証言によれば11月13日夜に没した[2]が、11月15日の夜に死去したとする報道もある[3][4][5]。
関連項目
編集脚注
編集- ^ “Rulers.org/Somalia”. rulers.org. 2020年12月10日閲覧。
- ^ “Former Somaliland President Siilaanyo is dead” (英語). (2024年11月15日) 2024年11月17日閲覧。
- ^ “Taariikh-Nololeedkii: Axmed Maxamed Maxamuud (Siilaanyo) oo nus qarni ka badan door shariifa ku lahaa siyaasadda Soomaaliya iyo Somaliland”. BBC News. BBC somali. (2024年11月16日) 2024年11月17日閲覧。
- ^ “Taariikh Nololeedka Axmed Siilaanyo”. ボイス・オブ・アメリカ. (2024年11月16日) 2024年11月17日閲覧。
- ^ “Silanyo passes away as Somaliland awaits election outcome” (英語). Garowe Online (2024年11月16日). 2024年11月16日閲覧。
外部リンク
編集公職 | ||
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先代 ダヒル・リヤレ・カヒン |
ソマリランド共和国大統領 第4代:2010 - 2017 |
次代 ムセ・ビヒ・アブディ |