シュトラウブ・ブルノー

ハンガリーの政治家、化学者

シュトラウブ・フェレンツ・ブルノーハンガリー語: Straub Ferenc Brunó, 1914年1月5日 - 1996年2月15日)は、ハンガリー生化学者政治家ハンガリー社会主義労働者党政権最後の大統領評議会議長国家元首)を務めた。

シュトラウブ・ブルノー
Straub Brunó

シュトラウブ・ブルノー

任期 1988年6月29日1989年10月23日
閣僚評議会議長 グロース・カーロイ英語版
ネーメト・ミクローシュ

出生 1914年1月5日
オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国 ナジヴァーラド
死去 (1996-02-15) 1996年2月15日(82歳没)
 ハンガリー ブダペスト
政党 ハンガリー共産党
ハンガリー勤労者党
無所属
受賞
出身校 センメルヴェイス大学
配偶者 リヒトネッカルト・エルジーベト
(1940年 - 1967年)
サボルチ・ゲルトカート
(1972年 - 1993年)

生涯

編集

生化学者としてはセント=ジェルジの弟子で、1942年に筋肉の主要タンパク質であるアクチンを発見し、さらに筋肉の収縮機構を研究した。

第二次大戦後、セゲド大学教授となり、酵素反応機構などを研究し、ハンガリー科学アカデミー酵素学研究所を創立した。また、国の科学技術政策にも参画した。

1988年、ブルノーはハンガリー社会主義労働者党の党員ではなかったが、カーダール・ヤーノシュ第一書記の退陣に伴う人事異動で国家元首にあたる大統領評議会ハンガリー語版英語版議長に推挙され、翌年には一党独裁体制の放棄が決定された。

公職
先代
ネーメト・カーロイ
 ハンガリー人民共和国
大統領評議会議長ハンガリー語版英語版

第6代:1988年 - 1989年
次代
スーレシュ・マーチャーシュ
 ハンガリー第三共和国暫定大統領