シャルトル学派
シャルトル学派(しゃるとるがくは、仏: École de Chartres)は、中世のフランスのシャルトル大聖堂附属学校で活躍したベルナール[注 1]を中心とした思想家たちを指す。プラトン哲学やアラビアの自然科学の成果を統合した。
概説
編集シャルトル大聖堂附属学校の起源は5世紀に遡るが、10世紀、オーリヤックのジェルベールの弟子フルベルトゥスがシャルトル大聖堂附属学校に赴いて学問を伝え、医学・神学が盛んになった。ジェルベールは後の教皇シルウェステル2世で、アラビアの科学を修めた学者であった。
その後、ベルナール[1]が現われ、12世紀にはベルナールを中心に学問が隆盛し、当時の学問の中心地パリをしのぐほどになったと言われる。
シャルトル学派は古代の自由学芸(リベラル・アーツ artes liberale 文法、論理学、修辞学、算術、幾何、天文、音楽の7科目)を復興した。三学(文法、論理学、修辞学)は文献研究であり、後の四学は自然現象に対する考察である。
ベルナールは古典古代の学問を巨人に喩え、自分たちは小さな者であるが、巨人の肩に乗ることで巨人よりも多くのもの、遠くのものを見ることができると述べた。また、ベルナールの弟ティエリ[2]はプラトンの『ティマイオス』を元に聖書の創世記を科学的に(奇跡ではなく、因果関係として)解釈しようと試みた。当時、ラテン語訳で入手可能だったプラトンの著作は、ほぼ『ティマイオス』『パイドン』『メノン』だけであった。
シャルトル学派という呼び方は19世紀の研究者によるもので、やがて「12世紀ルネサンス」の中心として注目されるようになった。しかし、シャルトルで学派と呼べるほど人材が輩出したかどうかには異論もある。ベルナールは確かにシャルトルで活動したが、ティエリの活動はパリが中心であったという。
関係著作物
編集日本語訳書
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c 『ベルナルドゥス[シャルトル]』 - コトバンク
- ^ 『ティエリー[シャルトル]』 - コトバンク