シャトー=シャロンChâteau-Chalon)は、フランスブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏ジュラ県コミューン

Château-Chalon


地図
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏
(département) ジュラ県
(arrondissement) ロン=ル=ソーニエ郡
小郡 (canton) ポリニー小郡
INSEEコード 39114
郵便番号 39210
市長任期 クリスティアン・ヴイヨーム[1]
2014年-2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes des coteaux de la Haute Seille
人口動態
人口 153人
2014年
人口密度 15人/km2
住民の呼称 Castel-Chalonnais, Castel-Chalonnaises
地理
座標 北緯46度45分20秒 東経5度37分36秒 / 北緯46.7555555556度 東経5.62666666667度 / 46.7555555556; 5.62666666667座標: 北緯46度45分20秒 東経5度37分36秒 / 北緯46.7555555556度 東経5.62666666667度 / 46.7555555556; 5.62666666667
標高 平均:m
最低:254 m
最高:563m
面積 10.17km2
Château-Chalonの位置(フランス内)
Château-Chalon
Château-Chalon
公式サイト Site officiel de la Commune
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ジュラ県観光のメッカであるシャトー=シャロンは、フランスの最も美しい村やフランスの特徴ある小さな町(fr)に登録されており、村や周辺のコミューンはブドウ畑の風景に囲まれている。そのブドウ畑からは、ジュラのワインで最も有名な黄ワイン(fr)であり、フランシュ=コンテの美食を物語るシャトー=シャロンAOCが生産されている。

地理

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シャトー=シャロンは、オート・セイユ川谷を見下ろす台地の端に築かれた、『鷹の巣村』である。川はボーム=レ=メシュールで盲谷に流れ込む。村はヌヴィー=シュル=セイユ、ヴォワトゥール、メネトリュ=ル=ヴィニョーブルの、丘の中腹にあるブドウ畑を見下ろしている。これがジュラのワインで最も有名なシャトー=シャロンのワインの名声を作った。

歴史

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シャトー=シャロンと周辺の村のブドウ畑が生み出すジュラのワインは認められており、古くはガリア時代のセクアネス族(fr)から評価され、ローマ帝国の影響を受けて発展した。ローマ皇帝プロブスは280年の勅令によって、セクアニー(古代のフランシュ=コンテ)の良好な丘の上にたくさんのブドウの木を植えるよう命じた。このブドウ畑から作られたワインが成功を収めた。

カロリング朝時代のブルグント王国からフランス革命まで、7世紀に創設されたシャトー=シャロン修道院は20人のベネディクト会派の修道女たちが運営し、その後20人は上級貴族出身の世俗律修女(fr、修道請願に拘束されず、一定の規律の下で共同生活を行う修道会に属する女性)が占めた。修道院はシャトー=シャロンのサン・ピエール教会に隣接していた。修道院建物は初期ロマネスク様式と初期ゴシック様式が組み合わされており、11世紀に板石で屋根を葺いている。この場所には、サン・ピエールの井戸や、かつてノートルダム修道院(現在は痕跡がない)があった。

シャトー=シャロンの要塞城(フランシュ=コンテ最古の要塞の1つ。現在は壁やダンジョンが一部残るのみ)は、9世紀にカロリング朝のシャルル2世によって築かれた。要塞城は13世紀、シャロン伯ジャン1世(fr)によって再建されている。彼は強力なシャロン=アルレ家(fr)の開祖であり、シャロンの名をコミューンに与えた。

人口統計

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1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2007年 2014年
207 192 160 156 153 160 167 153

参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[2]、2006年以降INSEE[3][4]

史跡

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脚注

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