シティ・オブ・ベルリン (客船)
シティ・オブ・ベルリン(英:SS City of Berlin)は、ケード・アンド・カンパニーによって建造された客船である。後に2度の改名を行った。
シティ・オブ・ベルリン | |
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基本情報 | |
船種 | 蒸気船 |
船籍 | イギリス |
所有者 | インマン・ライン |
建造所 | ケード・アンド・カンパニー |
母港 | リヴァプール |
経歴 | |
進水 | 1874年10月27日 |
就航 |
1875年4月29日 (大西洋横断航路) |
最後 | 1921年に解体 |
要目 | |
総トン数 | 5,491トン |
長さ | 488.6フィート (148.9 m) |
幅 | 44.2フィート (13.5 m) |
推進器 | 蒸気機関、スクリュー1軸 |
速力 | 15ノット |
その他 |
マスト数: 3本 煙突数: 1本 |
概要
編集シティ・オブ・ベルリンは1874年に進水、インマン・ラインへと引き渡された後、リヴァプール - ニューヨーク間の航路に就航した。同時に郵便物を運ぶサービスも行っていた。
1875年12月、シティ・オブ・ベルリンはクイーズタウン - ニューヨーク間を7日18時間2分(速力15.21ノット)で横断し、ブルーリボン賞に輝いた。
その後の航海で2度ほどトラブルがあり、他の船舶に引っ張ってもらうというアクシデントがあった。シティ・オブ・ベルリンのエンジンは効率が悪く、一日に120トンもの石炭を使用していたため、1887年にエンジンを改装した。シティ・オブ・ベルリンはインマン・ラインとアメリカン・ラインが合併したあともそのまま使用され続けたが、船名がベルリン(Berlin)と短くなった。
1898年、ベルリンは米西戦争の勃発に伴いアメリカ政府に徴用され、ミード(Meade)と改名した。ミードはフィリピンへ輸送船として兵士を運び、戦争で大きく損傷した。その後修理され第一次世界大戦などで輸送船として使用され続け、1921年にスクラップとなった。
記録 | ||
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先代 ゲルマニック |
ブルーリボン賞 (船舶)(西回り航路)保持船舶 1875年 |
次代 ブリタニック |
先代 バルチック |
ブルーリボン賞 (船舶)(東回り航路)保持船舶 1875年 |
次代 ゲルマニック |