ザ・ハリス・ブラザーズ
ザ・ハリス・ブラザーズ(The Harris Brothers)は、アメリカ合衆国の男性双生児のプロレスラー2人によるタッグチームである。ザ・ブルーズ・ブラザーズ(The Bruise Brothers)、ザ・グリム・ツインズ(The Grimm Twins)、クリエイティブ・コントロール(Creative Control)などとも名乗った。
ロン・ハリス | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ロン・ハリス 8ボール ジェラルド ジェイコブ・ブルー |
ニックネーム |
巨人双生児 ザ・ビッグ |
身長 | 196cm |
体重 | 130kg(全盛時) |
誕生日 | 1960年10月23日(64歳) |
出身地 | フロリダ州オーランド |
トレーナー |
ロッキー・モンタナ ハーリー・レイス |
デビュー | 1987年 |
引退 | 2005年 |
ドン・ハリス | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ドン・ハリス スカル パトリック イーライ・ブルー |
ニックネーム |
巨人双生児 ザ・ヘビー |
身長 | 196cm |
体重 | 130kg(全盛時) |
誕生日 | 1960年10月23日(64歳) |
出身地 | フロリダ州オーランド |
トレーナー | ロッキー・モンタナ |
デビュー | 1987年 |
引退 | 2005年 |
双子の兄であるロン・ハリス(Ron Harris)と弟のドン・ハリス(Don Harris)からなる。ともに1960年10月23日生まれ、フロリダ州オーランド出身で、身長203cm、体重130kg。プロレスにおけるキャリアの多くを兄弟タッグで活動した。
アメリカではWWF(ワールド・レスリング・フェデレーション)、WCW(ワールド・チャンピオンシップ・レスリング)、ECW(エクストリーム・チャンピオンシップ・レスリング)、TNA(トータル・ノンストップ・アクション)レスリングなど数々の団体で活動。日本では全日本プロレス、オリエンタルプロレスに参戦した。また兄のロン・ハリスは、単独でWLW(ワールド・リーグ・レスリング)や、その日本の提携団体であるプロレスリング・ノアにも参戦している。
来歴
編集警察勤務を経て、1987年11月にテネシー州ナッシュビルで兄弟ともにプロレス・デビュー。以降、双子の兄弟タッグチーム「ザ・ハリス・ブラザーズ」としてタッグ戦線で活動する[1][2][3]。
1990年8月に、メンフィスでUSWAタッグ王座を奪取。この頃よりロンはジェイコブ・ブルー(Jacob Blu )、ドンはイーライ・ブルー(Eli Blu)のリングネームでタッグ名をザ・ハリス・ブラザーズから「ザ・ブルーズ・ブラザーズ(The Bruise Brothers)」または「ザ・ブルー・ブラザーズ(The Blu Brothers」に改称する(その後、元の名称に再改称している)[1][2][3]。
その後、NWAの加盟団体だったPNW(パシフィック・ノースウエスト・レスリング)、ジェリー・ジャレット&ジェリー・ローラー主宰のUSWA、ジム・コルネット主宰のSMW(スモーキー・マウンテン・レスリング)、WWE(当時WWF)、ECW、WCWなど様々な団体を転戦[1][2][3]。
また日本では1992年にオリエンタルプロレスに兄弟で初来日している。オリエンタルでは、初代USAタッグ王者チームとなった[1][2][3]。
WWFでは、ロンは8ボール(8-Ball)、ドンはスカル(Skull )のリングネームで所属し、クラッシュがリーダーを務め、チェインズこと親戚のブライアン・リーを加えたバイカー集団ユニット「ディサイプルズ・オブ・アポカリプス(Disciples of Apocalypse)」に属して暴れ回った。また、弟とのタッグを「ザ・グリム・ツインズ」に改称(その後、元に戻す)してタッグ戦線で活動したが、ベルト奪取には至っていない。
WCWではクリエイティブ・コントロール(Creative Control)のタッグ名でロンはジェリー・ブリスコのファーストネームから取ったジェラルド(Gerald)、ドンはパット・パターソンのファーストネームから取ったパトリック(Patrick)のリングネームで所属し、nWo2000のメンバーとして活動。nWo2000が活動停止した後はタッグ戦線に乗り込みママルークスとの抗争において2000年にWCW世界タッグ王座を2度獲得した[1][2][3]。
2001年、全日本プロレスに兄弟で初参戦。ザ・ハリス・ブラザーズとして世界最強タッグ決定リーグ戦へエントリーした[1][2][3]。決勝トーナメントへ進出する活躍ぶりであったが、川田利明&長井満也の前に敗退し、決勝戦への進出は果たせなかった[2][3]。
2002年からはTNAへ参戦。しかし、ザ・ハリス・ブラザーズは活動を休止。ロンとドンは別々の道を歩むこととなる[2][3]。
その後、ロン単独でWLWへ参戦。2003年1月にはWLWと提携する日本の団体のプロレスリング・ノアへハーリー・レイスの強い推薦で初参戦[2][3]。
同年7月、WLW世界ヘビー級王座を奪取。同年9月12日、ノアの日本武道館大会で森嶋猛を相手に防衛戦を行った[3]。14分29秒、森嶋のバックドロップの前に敗北し、王座から陥落した。
2004年になると二人ともTNAへ再登場し、ディサイプルズ・オブ・デストラクション(The Disciples of Destruction)なるタッグ名で再始動させた。しかし、2005年にプロレスを引退した。
タイトル歴
編集ロン & ドン
編集- タッグ王座
- USWAタッグ王座
- WCW世界タッグ王座
- チャンピオンシップUSAタッグ王座 (オリエンタルプロレス)
- 世界最強タッグ決定リーグ戦 - 2001年大会決勝トーナメント進出
- 他多数
ロン・ハリス
編集弟ドンとのタッグ王座等は上記に記載
- シングル王座
ドン・ハリス
編集兄ロンとのタッグ王座等は上記に記載
- タッグ王座
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得意技
編集ロン&ドンによるツープラトン技
編集- Hボム - 高角度バックドロップとサイド・バスターの合体技。
- 合体式チョークスラム - 二人掛かりで敢行するチョーク・スラム(のど輪落とし)。
- ツイン・ビッグ・ブーツ - 二人同時に行うビッグ・ブーツ(フロント・ハイ・キック)。
ロン・ハリス
編集- ハリス・ボム - ネック・ハンギング・ツリーの体勢からのジャンピング・パワーボム。いわゆるネック・ハンギング・ボム。
- チョーク・スラム
- ビッグ・ブーツ
ドン・ハリス
編集- ニー・ロドップ
- チョーク・スラム
- ビッグ・ブーツ
入場テーマ曲
編集参考文献・参考サイト
編集- 全日本プロレス『2001世界最強タッグ決定リーグ戦』公式パンフレット
- プロレスリング・ノア『The First Navigation '03』公式パンフレット
- プロレスリング・ノア『Navigation over the Date Line'03』公式パンフレット