サン=トゥアン
サン=トゥアン (Saint-Ouen)は、フランス、イル=ド=フランス地域圏、セーヌ=サン=ドニ県のコミューン。
Saint-Ouen | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | イル=ド=フランス地域圏 |
県 (département) | セーヌ=サン=ドニ県 |
郡 (arrondissement) | サン=ドニ郡 |
小郡 (canton) | 2小郡庁所在地 |
INSEEコード | 93070 |
郵便番号 | 93400 |
市長(任期) |
ジャクリーヌ・ルイヨン=ダンブルヴィル (2008年 - 2014年) |
自治体間連合 (fr) | メトロポール・デュ・グラン・パリ |
人口動態 | |
人口 |
47,189人 (2010年) |
人口密度 | 10 949人/km2 |
地理 | |
座標 | 北緯48度54分00秒 東経2度20分00秒 / 北緯48.9度 東経2.3333度座標: 北緯48度54分00秒 東経2度20分00秒 / 北緯48.9度 東経2.3333度 |
標高 |
平均:?m 最低:22m 最高:48m |
面積 | 4.31km2 (431ha) |
公式サイト | http://www.saint-ouen.fr/ |
地理
編集サン=トゥアンはパリ郊外(バンリュー)にある。コミューンの南部でパリ17区、パリ18区と接しており、ポルト・サン=トゥアンを通じて往来が可能である。西側のクリシーや東側のサン=ドニとともに歴史的なペイ・ド・フランス地方の南の一部である。
1860年、アドルフ・ティエールが築いた防衛用の市壁であるティエールの城壁(fr)の内側にあったコミューンはパリに併合された。このとき、かつて独立したコミューンであったモンマルトル及びラ・シャペルの各一部が市壁の外側にあったことから、これらの領域がサン=トゥアンに併合された。
交通
編集- 道路 - ペリフェリック、A86、高速道N14
- 鉄道 -
- パリメトロ13号線 -メリー・ド・サン=トゥアン駅、ガリバルディ駅(パリ市内のポルト・ド・サン=トゥアン駅やサン=ドニ市内のカルフール・プレイエル駅のほかパリ市内のパリメトロ4号線ポルト・ド・クリニャンクール駅も近接している。)
- RER C線 -サン=トゥアン駅
歴史・経済
編集コミューンの名は、ヴィッラ・クリッピアクム(Villa Clippiacum)で死去したルーアン司教であった聖ウアンに由来する。イングランドでは聖オーウェンと呼ばれた聖人の遺物は、カンタベリーへ運ばれた。聖人のラテン語名はAudœnus Dadoといい、サン=トゥアン住民がオドニアン(Audonien)と自称するのはこのためである。686年に聖人が帰天後、ウアンが暮らした家は巡礼地となり、小さな村は信仰の中心地となっていった。メロヴィング朝時代、王家のヴィラが建てられてからサン=トゥアンの歴史が始まった。ダゴベルト王時代の名をクリッピアクムといった。
フランス革命中の1793年、コミューンの名はバン=シュル=セーヌ(Bains-sur-Seine)と改名された。
1830年、川港とドックが完成した。これによりサン=トゥアンは川の駅として目覚しい経済発展を始めた。1862年にこれらはパリ北駅やパリ東駅へ向かうプティト・サンチュールと連結された。化学工業、金属加工業が伸びて好景気は第一次世界大戦末期まで続いた。1960年代から1980年代まで産業の空洞化を経験し、経済基盤が一新された。現在はコミューン内に32,000人を雇用する3,300箇所の事業所がある。
みどころ
編集- 蚤の市 - サン=トゥアン市内クリニャンクールで毎週土曜日・日曜日・月曜日に開催され、世界中から古物商が集まる[1]。
- サン=トゥアン城 - 17世紀。一時はポンパドゥール夫人やジャック・ネッケルが所有した。現在はコミューンが所有し、地元歴史博物館となっている。
- スタッド・ド・パリ - サッカークラブレッドスターFC93のホーム・スタジアム
姉妹都市
編集出身者
編集- ジミ・トラオレ:サッカー選手
- アンドレ・ルデュック:自転車競技選手
- マチルダ・メイ:女優、歌手
脚注
編集- ^ Le marché aux puces est implanté sur l'emplacement des anciennes glacières de Saint-Ouen. Elles fournissaient autrefois une grande partie de la glace utilisée à Paris. Ces glacières consistaient en un puits de 10 mètres de profondeur et de 33 mètres de diamètre. On y fabriquait de la glace par des procédés artificiels.