サン・ドルリーゴ・デッラ・ヴァッレ
サン・ドルリーゴ・デッラ・ヴァッレ(伊: San Dorligo della Valle ; スロベニア語: Dolina ドリーナ)は、イタリア共和国フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州トリエステ県にある、人口約5,700人の基礎自治体(コムーネ)。
サン・ドルリーゴ・デッラ・ヴァッレ San Dorligo della Valle | |||
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行政 | |||
国 | イタリア | ||
州 | フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア | ||
県/大都市 | トリエステ | ||
CAP(郵便番号) | 34018 | ||
市外局番 | 040 | ||
ISTATコード | 032004 | ||
識別コード | D324 | ||
分離集落 | #分離集落参照 | ||
隣接コムーネ | #隣接コムーネ参照 | ||
公式サイト | リンク | ||
人口 | |||
人口 | 5684 人 (2023-01-01 [1]) | ||
人口密度 | 231.9 人/km2 | ||
文化 | |||
住民の呼称 | dorligesiまたはdolinciani | ||
守護聖人 | Sant'Ulderico | ||
祝祭日 | 7月4日 | ||
地理 | |||
座標 | 北緯45度37分21秒 東経13度51分28秒 / 北緯45.62250度 東経13.85778度座標: 北緯45度37分21秒 東経13度51分28秒 / 北緯45.62250度 東経13.85778度 | ||
標高 | 106 (2 - 672) [2] m | ||
面積 | 24.51 [3] km2 | ||
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ポータル イタリア |
名称
編集町はスロベニア語の名として「ドリーナ」(「谷」を意味する)を持つ。第一次世界大戦後、この町はイタリア王国に編入されたが、当初しばらくは「ドリーナ」が正式名称であった。1923年、イタリア化政策によって町名が「サン・ドルリーゴ・デッラ・ヴァッレ」に改められた。
2003年、中心集落の名の正式名称として「ドリーナ」を復活させている。ただし、コムーネの名は従来どおり「サン・ドルリーゴ・デッラ・ヴァッレ」のままである。
地理
編集位置・広がり
編集トリエステ県東南端のコムーネで、南および東がスロベニアとの国境にあたる。コムーネの中心集落であるドリーナは、県都・州都であるトリエステ中心部の南東約8km、コペルの北東約12km、リエカの北西約55kmに位置する。
隣接コムーネ
編集隣接するコムーネ、およびそれに相当する行政区画は以下の通り。括弧内のSLOはスロベニア領を示す。
セジャーナはセザーナ(Sesana)、フルペリェ=コジナはエルペッレ=コジーナ(Erpelle-Cosina) 、コペルはカポディストリア(Capodistria) のイタリア語名を持つ。
地勢
編集標高300mほどのクラス台地(カルスト台地)が海に迫る。町の大部分は台地の下にあるが、台地上に暮らす住人もいる。気候は穏やかな地中海性気候であるが、秋から冬にかけて、冷たく激しい局地風であるボーラに見舞われることもある。
気候分類・地震分類
編集サン・ドルリーゴ・デッラ・ヴァッレにおけるイタリアの気候分類 (it) および度日は、zona E, 2282 GGである[4]。 また、イタリアの地震リスク階級 (it) では、zona 3 (sismicità bassa) に分類される[5]。
歴史
編集18世紀半ば以降、この地はハプスブルク君主国の統治下に置かれた。1813年から1918年にかけて、サン・ドロリーゴ周辺地域はオーストリア領キュステンラントを構成するイストリア辺境伯国の一部であった。人口の大多数はスロベニア語の話者であった。
第一次世界大戦後、イタリア王国に編入され、ヴェネツィア・ジュリアの一部になった。
第二次世界大戦後の1945年、ユーゴスラビア人民軍が短い間占領したが、その後アメリカ・イギリス連合軍の占領下に置かれた。1947年のパリ条約により国際連合管轄のトリエステ自由地域A地域(連合軍地区)の一部となった。1954年、イタリア領に復帰した。
社会
編集民族
編集1971年の国勢調査によると、住民の70.5%はスロベニア系であった[6]。憲法により、コムーネの活動ではイタリア語とスロベニア語に同様の権利が保証されている。
人口推移
編集人口推移 | ||
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年 | 人口 | ±% |
1921 | 5,090 | — |
1931 | 4,897 | −3.8% |
1936 | 5,017 | +2.5% |
1951 | 4,821 | −3.9% |
1961 | 5,175 | +7.3% |
1971 | 5,683 | +9.8% |
1981 | 6,159 | +8.4% |
1991 | 5,956 | −3.3% |
2001 | 5,927 | −0.5% |
2011 | 5,912 | −0.3% |
行政
編集分離集落
編集コムーネの憲章(Statuto)によれば、サン・ドルリーゴ・デッラ・ヴァッレのコムーネは、以下の分離集落(frazione)及び集落(località)から構成される[7]。憲章にイタリア語・スロベニア語の地名が併記されている場合、イタリア語名 / スロベニア語名 の順に表記している。
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交通
編集道路
編集- 国道
トリエステ港を起点とする国道 SS202 は、コムーネ内で大きくUの字を描いて台地上に登り、再び西北へと向かう。サン・ルドリーゴのコムーネにおける国境越えのポイントとしては、地方道SR14が越える東部のペセク(Pesek)や、南部のクロチャータ・ディ・プレベニコ(Crociata di Prebenico)が知られる。
脚注
編集- ^ “Popolazione residente per sesso, età e stato civile al 1° gennaio 2023” (イタリア語). 国立統計研究所(ISTAT). 2024年2月9日閲覧。メニューでVista per singola areaを選択。Ripartizione:Nord-est, Regione:Friuli-Venezia Giulia, Provincia:Trieste, Comune:San Dorligo della Valle-Dolina を選択
- ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - Trieste (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2012年6月26日閲覧。
- ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Trieste (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年2月26日閲覧。
- ^ “Tabella dei gradi/giorno dei Comuni italiani raggruppati per Regione e Provincia”. 新技術エネルギー環境局(ENEA) (2011年3月1日). 2017年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月20日閲覧。
- ^ “classificazione sismica aggiornata al aprile 2023” (xls). https://rischi.protezionecivile.gov.it/it/sismico/attivita/classificazione-sismica/. イタリア市民保護局. 2023年12月16日閲覧。
- ^ “IL COMUNE DI DUINO AURISINA” (イタリア語). Liceo Ginnasio Francesco Petrarca. 2013年3月7日閲覧。原出典:Da P. Stranj , La comunità sommersa, Editoriale Stampa Triestina, TS 1992.
- ^ Comune di Duino-Aurisina. “Statuto” (PDF) (イタリア語). 2013年3月1日閲覧。.