サンダークラップ・ニューマン

サンダークラップ・ニューマン (Thunderclap Newman) は、イングランドロックバンドである。1969年に発表したシングル「サムシング・イン・ジ・エアー」が全英シングルチャートで1位を記録した[1]ことで知られる。

サンダークラップ・ニューマン
出身地 イングランドの旗 イングランドロンドン
ジャンル ロック
活動期間 1969年 - 1971年
レーベル トラック・レコード
旧メンバー ジョン・"スピーディ"・キーン
ジミー・マカロック
アンディ・"サンダークラップ"・ニューマン

略歴

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1969年 - 1971年

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サンダークラップ・ニューマンは1969年、ジョン・"スピーディ"・キーン[注釈 1](ボーカル、ドラムス、ギター)、アンディ・"サンダークラップ"・ニューマン[注釈 2](ピアノ)、ジミー・マカロック(ギター)の3人で結成された。彼等はザ・フーのピート・タウンゼントからトゥィッケナムにあった彼のホーム・スタジオを提供されて、キーン作の「サムシング・イン・ジ・エアー」を録音した。タウンゼントはベーシストとプロデューサーを務めた[2]

「サムシング・イン・ジ・エアー」はザ・フーのマネージャーであるキット・ランバートが所有するトラック・レコード[注釈 3]から同年5月にシングルとして発表され[3][注釈 4]、7月に全英シングルチャートにおいて3週連続1位を記録するヒット曲になった。アメリカでも11月1日付のビルボード・Hot 100で37位を記録した。この曲はテレビコマーシャル映画のサウンドトラックコンピレーションアルバムなどで、長きに渡って広く取り上げられ続けた[注釈 5]

彼等は同年、引き続いてタウンゼントをプロデューサーとベーシストに迎えて、IBCスタジオとタウンゼントのホームスタジオでアルバム『ハリウッド・ドリーム[1][4]を制作して、トラック・レコードから発表した[注釈 4]。収録曲から、'Accidents'[5]、'The Reason'[6]、'Wild Country'[7]の3曲がシングル・カットされた。

彼等の1969年のツアーには、James "Jim" Pitman-Avery[8](ベース・ギター)とマカロックの兄であるジャック・マカロック[9][10](ドラムス)が参加した [1]。1971年にはロニー・ピール(ベース・ギター)とロジャー・フェリーチェ(Roger Felice、ドラムス)が参加した。

1971年4月に活動を停止した。

1979年、マカロック死去。

2002年、キーン死去。

再結成

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サンダークラップ・ニューマンは2010年2月、音楽ビジネスのマネージャーであるイアン・グラントの勧めによって、アンディ・ニューマンを中心に復活した。メンバーは、ニューマン、ビッグ・カントリーのマーク・ブレゼジッキー[注釈 6]Mark Brzezicki、ドラムス)、タウンゼントの甥のジョシュ・タウンゼント(Josh Townshend、リズム・ギター、ボーカル)、ニック・ジョンソン(Nick Johnson、リード・ギター)トニー・スタビングス(Tony Stubbings、ベース・ギター)だった。

彼等は同年、スタジオ録音とライブ録音を収録したアルバム『ビヨンド・ハリウッド』を発表した[11]

ディスコグラフィ

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アルバムの詳細
1970年 ハリウッド・ドリーム
  • レーベル: Track / Polydor (SD 8264)
  • フォーマット:1970 LP 、1991 CD
2010年 ビヨンド・ハリウッド(スタジオ/ライブ) [12] [13]
  • レーベル: Track (TRA 1067)

脚注

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注釈

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  1. ^ キーンはタウンゼントの友人で、彼が作詞作曲した「アルメニアの空」(Armenia City in the Sky)は、ザ・フーのアルバム『セル・アウト』(1967年)に取り上げられていた。
  2. ^ タウンゼンドのイーリング・アート・カレッジ時代の友人で、ジャズ・ピアニストだった。
  3. ^ ザ・フーのマネージャーであったランバートとクリス・スタンプが1966年に設立したレコード会社。ザ・フー、ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスクレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウンゴールデン・イヤリングらが在籍した。
  4. ^ a b タウンゼントはBijou Drainsという変名でクレジットされた。
  5. ^ 映画は『マジック・クリスチャン』(1969年)、『いちご白書』(1970年)、『キングピン/ストライクへの道』(1996年)、『あの頃ペニー・レインと』(2000年)、『月のひつじ』(2000年)、『ガール・ネクスト・ドア』(2004年)など。
  6. ^ 原語であるポーランド語の発音ではブジェジツキイになる。

出典

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  1. ^ a b c Colin Larkin, ed (1997). The Virgin Encyclopedia of Popular Music (Concise ed.). Virgin Books. p. 1180. ISBN 1-85227-745-9 
  2. ^ Neill & Kent (2007), pp. 223–224.
  3. ^ Discogs”. 2023年6月17日閲覧。
  4. ^ Thunderclap Newman | Biography, Albums, & Streaming Radio”. AllMusic. 2016年3月31日閲覧。
  5. ^ Discogs”. 2023年6月17日閲覧。
  6. ^ Discogs”. 2023年6月17日閲覧。
  7. ^ Discogs”. 2023年6月17日閲覧。
  8. ^ Discogs”. 2023年6月17日閲覧。
  9. ^ Discogs”. 2023年6月17日閲覧。
  10. ^ Neill & Kent (2007), p. 224.
  11. ^ Discogs”. 2023年6月17日閲覧。
  12. ^ [1] [リンク切れ]
  13. ^ Archived copy”. 27 December 2010時点のオリジナルよりアーカイブ。5 October 2011閲覧。

引用文献

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  • Neill, Andy; Kent, Matt (2007). Anyway Anyhow Anywhere: The Complete Chronicle of The Who 1958-1978. London: Virgin Books. ISBN 978-0-7535-1217-3 

関連項目

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外部リンク

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