サバーハ・アル=アフマド・アル=ジャービル・アッ=サバーハ
第15代クウェート首長 (1929-2020)
サバーハ・アル=アフマド・アル=ジャービル・アッ=サバーハ(アラビア語: صباح الأحمد الجابر الصباح, ラテン文字転写: Sabāh al-Ahmad al-Jābir as-Sabāh、1929年6月16日 - 2020年9月29日)は、第15代クウェート首長。日本の報道機関ではサバハ首長と表記されることが多かった[1][2]。父は第10代クウェート首長のアフマド・アル=ジャービル・アッ=サバーハ。なお、歴代首長にサバーハという名前の人物が過去に3名いるのでサバーハ4世とも呼ばれる[3]。
サバーハ4世 صباح الرابع | |
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クウェート首長 | |
サバーハ4世(2009年、ワシントンにて) | |
在位 | 2006年1月29日 - 2020年9月29日 |
全名 |
صباح الأحمد الجابر الصباح サバーハ・アル=アフマド・アル=ジャービル・アッ=サバーハ |
出生 |
1929年6月16日 クウェート首長国、クウェート市 |
死去 |
2020年9月29日(91歳没) アメリカ合衆国 ミネソタ州 ロチェスター |
配偶者 | ファトゥワー・ビント・サルマーン・アッ=サバーハ |
子女 |
一覧参照
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家名 | サバーハ家ジャービル系 |
父親 | アフマド=ビン=ジャービル・アッ=サバーハ |
母親 | ムニーラ・アル=アヤール |
宗教 | イスラム教スンナ派 |
2020年9月29日に薨去した時点で91歳であり、これは当時の君主の中でサバーハより3歳年長であるイギリスのエリザベス2世(サバーハ薨去時点で94歳)に次ぐ年長者であった。
経歴
編集兄弟にはナウワーフ、第13代クウェート首長ジャービル、ファハドらがいる。第14代クウェート首長サアドははとこにあたる。
2006年1月に即位[4]。兄の在位中から首長位継承権第2位兼第一副首相の地位にあり、兄の薨去によって慣例通り太子兼首相になったが、サアド首長がすでに重病であったため議会を通して廃位し、首長に即位した。
2012年3月に訪日し、当時の天皇であった明仁(現:上皇)と会見。
中東諸国がカタールと断交した2017年カタール外交危機では仲裁役となった[4]。
2019年9月の訪米時には検査入院が報じられた[4]。また、2020年7月には医学的検査のために入院し一時的に権限を太子に委譲した[4]。9月29日、アメリカの病院で91歳で薨去[5][6]。クウェート政府は彼の死後、40日間の追悼を宣言した[7]。
脚注
編集- ^ “天皇陛下:クウェートのサバハ首長を出迎え”. 毎日新聞. (2012年3月21日) 2013年4月20日閲覧。
- ^ “クウェートで衝突、100人以上が負傷 選挙法改正に反発”. 産経新聞. (2012年10月22日) 2013年4月20日閲覧。
- ^ 「世界歴代王朝王名総覧」や「世界石油戦争」の表記法による
- ^ a b c d 「クウェートのサバハ首長が入院」『共同通信』2020年7月19日。2020年7月19日閲覧。
- ^ “Kuwait’s Emir Sheikh Sabah dies at age 91” (英語). Al Jazeera English. アルジャジーラ. (2020年9月29日) 2020年9月30日閲覧。
- ^ “クウェートのサバハ首長が死去 91歳、83歳皇太子が継承へ”. 共同通信. (2020年9月29日) 2020年9月29日閲覧。
- ^ クウェート国営通信社 [@kuna_en] (2020年9月30日). "Kuwait Gov't announces" (英語). X(旧Twitter)より2020年9月30日閲覧。
参考文献
編集- 『世界歴代王朝王名総覧』東洋書林、1998年9月30日
- 広瀬隆『世界石油戦争』NHK出版、2002年6月30日