サクラホクトオー
この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
サクラホクトオー(欧字名:Sakura Hokuto O、1986年4月3日 - 2000年3月16日)は、日本の競走馬、種牡馬[1]。
サクラホクトオー | ||||||||||||
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欧字表記 | Sakura Hokuto O[1] | |||||||||||
品種 | サラブレッド[1] | |||||||||||
性別 | 牡[1] | |||||||||||
毛色 | 鹿毛[1] | |||||||||||
生誕 | 1986年4月3日[1] | |||||||||||
死没 | 2000年3月16日(15歳没・旧表記)[2] | |||||||||||
父 | トウショウボーイ[1] | |||||||||||
母 | サクラセダン[1] | |||||||||||
母の父 | セダン[1] | |||||||||||
生国 | 日本(北海道静内町)[1] | |||||||||||
生産者 | 谷岡牧場[1] | |||||||||||
馬主 | (株)さくらコマース[1] | |||||||||||
調教師 | 境勝太郎[1] | |||||||||||
競走成績 | ||||||||||||
タイトル | JRA賞最優秀3歳牡馬(1988年)[1] | |||||||||||
生涯成績 | 14戦5勝[1] | |||||||||||
獲得賞金 | 1億8648.8万円[1] | |||||||||||
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1988年の朝日杯3歳ステークス(GI)を制し、同年のJRA賞最優秀3歳牡馬に選出された。その他の勝ち鞍に1989年のセントライト記念(GII)、1990年のアメリカジョッキークラブカップ(GII)。貴公子[3]や雨男[4]と呼ばれた。
1歳上の半兄に1987年の朝日杯3歳ステークス、1988年の東京優駿(日本ダービー)を制したサクラチヨノオー(父マルゼンスキー)がいる。
概要
編集1988年10月、東京競馬場での新馬戦でデビューし1着。続くオープン特別の府中3歳ステークスも1分48秒6のレコードタイムで勝利し、12月中山競馬場での朝日杯3歳ステークスでは単枠指定を受けて[5]、それに応えて3連勝を飾り、前年に朝日杯3歳ステークスを制した半兄サクラチヨノオーに続いての兄弟での同一G1連覇を達成した。JRA賞選考でも、1988年度のJRA賞最優秀3歳牡馬に選ばれた。
明けて4歳、初戦は3月の弥生賞であり2戦連続で単枠指定されたものの[6]、レースでは不良馬場に難渋し12着。クラシック第1戦皐月賞でも単枠指定を受けたものの[5]、レースでは弥生賞に続いての不良馬場となり、20頭立てで競走中止の1頭を除く事実上の最下位に終わった[7]。主戦騎手の小島太は「サクラホクトオーという馬は、少しでも馬場が渋るとやる気を無くして、レースでも全く走ろうとしなくなってしまう」と述べている。クラシック第2戦の東京優駿では人気も5番人気に落ち、ウィナーズサークルの9着に終わる。東京優駿は良馬場発表ではあったものの、午前中こそ埃が上がるほどの乾いた馬場だったが、13時半頃に一時的に雨が降り、やや湿った馬場になっていた。秋はセントライト記念を制したのち西下して菊花賞を狙ったが、レースでは管理していた境勝太郎が「自分の馬を見失ったのはこの時だけ」と形容するほどの大外へのコース取りの末に5着[8]。暮れの有馬記念ではオグリキャップ、スーパークリークに続く3番人気に支持され、レースでは後方から競馬をしてイナリワンの3着に入った[9]。
古馬となった1990年、緒戦のアメリカジョッキークラブカップで単枠指定に応えて1着[10]。再度西下して産経大阪杯はスーパークリークとともに5度目の単枠指定を受けたが7着と振るわず[11]、天皇賞(春)では3番人気で迎えられるも14着に終わり、こののち長期休養に入って1991年春に復帰して京王杯スプリングカップと安田記念に出走したが2戦とも掲示板外に終わって引退した。[12]
競走成績
編集以下の内容は、JBISサーチ[12]およびnetkeiba.com[13]に基づく。
競走日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離(馬場) | 頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ (人気) |
着順 | タイム (上り3F/4F) |
着差 | 騎手 | 斤量 (kg) |
1着馬(2着馬) |
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1988.10. 8 | 東京 | 3歳新馬 | 芝1600m(良) | 11 | 3 | 3 | 2.7 (1人) | 1着 | 1:36.9(48.7) | -0.3 | 小島太 | 53 | (ボストンキコウシ) | |
11.26 | 東京 | 府中3歳S | OP | 芝1800m(良) | 10 | 5 | 5 | 1.7 (1人) | 1着 | R1:48.6(48.6) | -0.7 | 小島太 | 54 | (マイネルブレーブ) |
12.18 | 中山 | 朝日杯3歳S | GI | 芝1600m(良) | 9 | 5 | 5 | 1.3 (1人) | 1着 | 1:35.5(35.0) | -0.3 | 小島太 | 54 | (スクラムトライ) |
1989. 3. 5 | 中山 | 弥生賞 | GII | 芝2000m(不) | 16 | 2 | 3 | 1.4 (1人) | 12着 | 2:12.1(42.9) | 4.4 | 小島太 | 55 | レインボーアンバー |
4.16 | 中山 | 皐月賞 | GI | 芝2000m(不) | 20 | 1 | 1 | 3.0 (1人) | 19着 | 2:08.5(41.5) | 3.3 | 小島太 | 57 | ドクタースパート |
5.28 | 東京 | 東京優駿 | GI | 芝2400m(良) | 24 | 4 | 11 | 9.9 (5人) | 9着 | 2:30.2(50.3) | 1.4 | 小島太 | 57 | ウィナーズサークル |
9.24 | 中山 | セントライト記念 | GII | 芝2200m(稍) | 9 | 8 | 8 | 4.8 (3人) | 1着 | 2:14.5(36.5) | -0.2 | 小島太 | 56 | (スダビート) |
11. 5 | 京都 | 菊花賞 | GI | 芝3000m(良) | 18 | 8 | 18 | 11.6 (7人) | 5着 | 3:08.1(46.4) | 0.4 | 小島太 | 57 | バンブービギン |
12.24 | 中山 | 有馬記念 | GI | 芝2500m(良) | 16 | 7 | 12 | 12.6 (3人) | 3着 | 2:32.1(36.1) | 0.4 | 小島太 | 55 | イナリワン |
1990. 1.21 | 中山 | アメリカジョッキーCC | GII | 芝2200m(良) | 10 | 4 | 4 | 1.5 (1人) | 1着 | 2:13.8(36.6) | -0.2 | 小島太 | 56 | (ランニングフリー) |
4. 1 | 阪神 | 産経大阪杯 | GII | 芝2000m(稍) | 9 | 5 | 5 | 3.2 (2人) | 7着 | 2:04.9(51.1) | 2.0 | 小島太 | 57 | スーパークリーク |
4.29 | 京都 | 天皇賞(春) | GI | 芝3200m(良) | 16 | 6 | 10 | 7.0 (3人) | 14着 | 3:25.8(51.3) | 3.9 | 小島太 | 58 | スーパークリーク |
1991. 4.21 | 東京 | 京王杯スプリングC | GII | 芝1400m(良) | 18 | 3 | 6 | 6.7 (2人) | 9着 | 1:22.4(35.2) | 0.9 | 小島太 | 58 | ダイイチルビー |
5.12 | 東京 | 安田記念 | GI | 芝1600m(良) | 16 | 5 | 9 | 10.2 (4人) | 15着 | 1:35.4(36.8) | 1.6 | 木藤隆行 | 57 | ダイイチルビー |
引退後
編集引退後は種牡馬となり、種牡馬としては8シーズンの供用で血統登録頭数200頭、そのうち出走頭数166頭を記録[14]。初年度産駒からサクラスピードオーが出て1996年の京成杯と共同通信杯4歳ステークスを勝ったが、中央と地方合算の総合サイアーランキングでは100位以内に入ることは一度もなかった[15]。その後、2000年3月16日に死亡[2]。墓は北海道静内町の新和牧場にある[16]。
主な産駒
編集血統表
編集サクラホクトオーの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | テスコボーイ系 |
[§ 2] | ||
父 トウショウボーイ 1973 鹿毛 |
父の父 *テスコボーイTesco Boy 1963 黒鹿毛 |
Princely Gift | Nasrullah | |
Blue Gem | ||||
Suncourt | Hyperion | |||
Inquisition | ||||
父の母 *ソシアルバターフライSocial Buttefly 1957 鹿毛 |
Your Host | Alibhai | ||
Boudoir | ||||
Wisteria | Easton | |||
Blue Cyprus | ||||
母 サクラセダン 1972 鹿毛 |
*セダン Sedan 1955 鹿毛 |
Prince Bio | Prince Rose | |
Biologie | ||||
Sraffa | Oresenigo | |||
Signa | ||||
母の母 *スワンズウッドグローヴSwanswood Grove 1960 黒鹿毛 |
Grey Sovereign | Nasrullah | ||
Kong | ||||
Fakhry | Mahmoud | |||
Fille de Salut | ||||
母系(F-No.) | スワンズウツドグローヴ(GB)系(FN:16-a) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Nasrullah 4×4、Mahmoud 5×4、Hyperion 4・5(父内) | [§ 4] | ||
出典 |
出典・脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p “サクラホクトオー”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年3月8日閲覧。
- ^ a b “サクラホクトオー”. 競走馬のふるさと案内所. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年3月8日閲覧。
- ^ “【追憶のセントライト記念】89年サクラホクトオー 貴公子が屈辱にまみれ…秋初戦で鮮やか復活(スポニチアネックス)”. Yahoo!ニュース. 2024年9月12日閲覧。
- ^ 『別冊宝島143号』宝島社。
- ^ a b c #中央競馬GI pp. 200-201, 1067
- ^ a b #中央競馬3歳4歳 pp. 280-281
- ^ “10R 皐月賞 1989年4月16日(日)3回中山8日”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年3月8日閲覧。
- ^ “【日刊ゲンダイ・片山真】セントライト記念を制した個性派”. uma-jin.net. Neo Sports Co., Ltd. (2010年9月16日). 2020年3月8日閲覧。
- ^ “【有馬記念】イナリワンがハナ差でスーパークリークを差し切った平成元年/平成有馬記念列伝(1989年)”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd. (2018年12月17日). 2020年3月8日閲覧。
- ^ a b #中央競馬古馬関東 p. 105
- ^ a b #中央競馬古馬関西 p. 533
- ^ a b “サクラホクトオー 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年3月8日閲覧。
- ^ “サクラホクトオーの競走成績”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2020年3月8日閲覧。
- ^ “サクラホクトオー 種牡馬情報:世代・年次別(サラ系総合)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年3月8日閲覧。
- ^ “サクラホクトオー 種牡馬情報:種牡馬成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年3月8日閲覧。
- ^ “新和牧場”. 競走馬のふるさと案内所. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年3月8日閲覧。
- ^ “サクラスピードオー”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年3月8日閲覧。
- ^ “テクノバリュー”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年3月8日閲覧。
- ^ “キタサンガール”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年3月8日閲覧。
- ^ “サンライズシャーク”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年3月8日閲覧。
- ^ “キタサンフドー”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年3月8日閲覧。
- ^ a b c “血統情報:5代血統表|サクラホクトオー|JBISサーチ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2015年6月28日閲覧。
- ^ a b c “サクラホクトオーの5代血統表”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2020年3月8日閲覧。
参考文献
編集- 『中央競馬全重賞競走成績集 GI編』日本中央競馬会、1996年。
- 『中央競馬全重賞競走成績集 3歳・4歳編』日本中央競馬会、1997年。
- 『中央競馬全重賞競走成績集 古馬関東編』日本中央競馬会、1997年。
- 『中央競馬全重賞競走成績集 古馬関西編』日本中央競馬会、1997年。
外部リンク
編集- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビJBISサーチ
- サクラホクトオー - 競走馬のふるさと案内所